≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法を研究、実践中です。
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    437)心の自己治癒力
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      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
      なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

       

      今日は、「心の自己治癒力」 について書きます。  

       

      人間の体は「自己治癒力」と呼ぶものを持っていると言われています。
      それと同じように、心にも「自己治癒力」と呼べるものを持っているようです。
      では、心の自己治癒力とはどのようなものか。
      自動的に作動するものか否か。
      自動的ではないとすると、どうすれば作動するのか。
      これらについて今の時点で考えていることを書いてみます。

      なぜ心にも自己治癒力があると言えるのか。
      今はクライアントを通して学んだとしかいえません。
      結果的にクライアント自らが治していくのです。
      もちろん、分析家は理論に基づいた姿勢でその場にいます。
      でも気づき治していくのはクライアント自身なのです。
      クライアントと分析家は限られた時空を共有し、クライアントが語ることで時空を変化させます。
      (語るのは言葉だけではありません)

      その変化を分析家が受け止める。
      その時空の中での変化がクライアントの自己治癒力を作動させるきっかけとなる。
      この体験が共有の時空を離れても継続しているようです。
      その何らかの変化を持って次回やってくる。
      そしてまた自ら新たな刺激を作動させる。
      その繰り返しの中で治癒していく。

      目前の苦悩は表面に現れた症状と捉え、それを裏側で支えている何かを変化させれば症状も変わる。
      その観点から、クライアントと分析家の限定された時空がクライアントの心の自己治癒力を刺激するのだと考えています。

      その経験が限定的であり、非日常的な時空を設定するからこそ作動させることができるのでしょう。
      自らの心の自己治癒力を作動させるきっかけは、日常のあちこちに転がっているのかもしれません。
      ただ、それを自己治癒力を作動させるきっかけとするためには、ある特別な刺激が必要なのかもしれません。
      その刺激を精神分析家は意図的に、しかもクライアントにそれと気づかせない形で用意していると言えるでしょう。

      その刺激を受けるからこそ人は自ら治癒してくのではないでしょうか。

      そのようなことを日々クライアントから学んでいます。
      クライアントと分析家が意図的に時空を共有する場がセラピールームなのです。

      | 育児・子育て | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
      434) 比べない・評価しない・裁かない
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        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
        なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

        今日は、「比べない・評価しない・裁かない」 について書きます。 

         

        家庭や社会の中での対人関係や、子どもや人を育てる上で大切な姿勢について考えてみます。
        相手のためを思ってとの言葉とともに、陥りがちな三つのことについて書いてみます。

        1. 比べる

        一番やりがちなことでしょう。
        家庭内では兄弟姉妹間、親戚や近所の同世代の人との比較。
        社会では、同僚や会社、組織内での比較。
        他には、過去の自分と今の自分、理想と現実、何らかの教義や主義主張と自分なども含みます。

         

        2. 評価する  

        学校や社会ではこれを中心に決定されることが多いかもしれません。
        比べた後には必ずと言っていいほど評価をしてしまいがちです。

         

        3. 裁く

        比べ、評価し、そして最後に裁くと続きます。
        結果、「だからダメだ」と否定して(されて)終了となります。 

        「比べる」「評価する」「裁く」
        これらの言語自体に良い(+)悪い(−)はついていません。
        ただ多くの場合、これらの言語の前に(−)の符号をつけて使いがちではないでしょうか。
        ですから、どうしても否定的な響きをより強く抱いてしまいます。
        そして、最後は自他ともに「ダメだ」に辿りついてしまいます。

         

        以上のことから、対人関係などにおいて自他ともに育てるために必要な姿勢がみえてきます。
        まずは、
        「比べない・評価しない・裁かない」

        これらの連鎖をしない方法はまず「誰とも、何とも比べないことだ」と考えます。

        人は比べたら評価したくなるし、評価したら善悪をつけて裁きたくなるものです。
        だとしたら比べないのが一番。
        そこにあるのは「差異」それだけではないでしょうか。

         

        シニフィアン研究所ではこの観点から分析、レクチャーをしています。

        | 育児・子育て | 14:56 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
        429)無条件の愛の対象
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          シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
          なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

          今日は、「無条件の愛の対象」 について書きます。
           

          <ある日のローカル電車の中での光景から >

          田園風景の中をガタンガタンと不器用な音を立てて走るローカル電車の中でのこと。
          ある無人駅から乗り込んできたちょっと強面のおじさんが向かいの座席にドスンと座った。
          機嫌悪そうな憮然とした面持ちで前を向いて座っている。
          ちょっと関わりたくないなと思わせる雰囲気を漂わせていた。
          なるべく視線を合わせないように気を付けながら、時折視線を泳がせていた。
          その時はまだ、後に思いもかけない光景を目にするとは考えもつかなかった。
          少なくとも私は。

          しばらく風景が流れたある瞬間。
          近くで可愛い「あ〜」という声がした。
          その声の方に目を向けると、赤ちゃんがそのおじさんの方に小さな手を向けていたのだ。
          若いママの腕の中に抱かれた 生後まだ4・5か月だろうか、いわゆる赤ちゃんから一人分の座席を隔てた距離にあの強面のおじさんが座っていたのだった。
          少し緊張したママが慌てた様子で赤ちゃんをあやしていた。
          決して多いとは言えない乗客が少なからず一瞬息を呑んだように感じた。

          次の瞬間、その場の雰囲気が一変した。
          何と、あの強面のおじさんがまるで別人になったのだった。
          深く刻まれた顔のしわが満面の笑みに変身をとげた。
          そのまなざしは一心にその赤ちゃんの上に降り注ぎ、なんとあやし始めたのだった。
          赤ちゃんはというと、笑い声こそ立てはしなかったが、じっとそのおじさんのまなざしにまなざしで応えていた。
          ママも我が子とおじさんを交互に見つめながらそのまなざしに参加していた。
          その時間は果たしてどれくらいだったろうか。

          無垢で無邪気だとされる赤ちゃんの一声が、強面を一瞬で笑顔に変えた。
          そのおじさんの心中は解らない。
          ただ赤ちゃんの一声がおじさんの笑顔を引き出したことだけは確かなことだった。
          言葉(意味)の世界に自ら参加していない存在が、言葉の世界に住まう大人にとって無条件の愛の対象として作用したと言えないだろうか。

          緊張した場の雰囲気を一瞬にしてほっこりとした空気に変容させた現場を目撃した。
          まだ寒さの残る如月のひと日の出来事。

          twitterでもつぶやいています。https://twitter.com/rakuhomanami
          シニフィアン研究所のHPもどうぞ http://signifiant-lab.com/ 

          | 育児・子育て | 11:14 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
          423)反抗&11月度関西出張
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            シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
            なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

            今日は、「反抗」&「11月度関西出張」 について書きます。

            反抗するのはそれまでの世界から脱皮し、新しく生まれ変わりたいとのメッセージであると考えてみます。
            反抗するには様々な状況と理由があるでしょうが、何らかの違和感を感じているからでしょう。この違和感を一番感じるとされる青春期(第二反抗期)を例に考えてみます。

            それまで周りから当然のこととして求められてきた道をそれなりに歩いてきた。
            心身の成長と進路についての問いかけを一つの契機として浮上してくる可能性が高くなります。それまで何らかの違和感を感じていたことが一気に表面化する時期だといわれます。
            その代表的な表現が「反抗」でしょう。
            本人も訳わからず周りにまき散らす。
            頭では分かっていてもコントロールできない。
            その矛先はまず母親が多いようです。
            よく聞くのが「うるさい」「黙れ」「あっちへ行け」
            それに対して母親は「親に向かって偉そうに、一人で大きくなったつもりでいる、何様のつもり」などなど。

            これは「もう保護し、一方的にコントロールする母は必要ない、脱皮の時期にきている」とのメッセージではないでしょうか。
            母の束縛の世界を打ち破るための行動化でもあり、自らの頭で考え、自らの足で歩もうとする意志表示と捉えてみます。
            そうすれば、反抗する子どもに対する見方も違ってくるのではないでしょうか。

            ただ一つ成長と捉えるには条件があります。
            それは、この反抗は言葉でなされることです。
            行動が伴うことも多いですが、まずは言葉で反抗できること。
            その代表が「うるさい」「黙れ」「あっちへ行け」です。
            その言葉が出たら その言葉に従いましょう
            口を止め、その場を去ることです。
            そして、見守りましょう。
            静観すること、それがその時期に母ができる最大限の行動です。

            :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

            ≪11月度関西出張のお知らせ≫

            *10日(火)〜12日(木) 大阪市・和歌山市

            面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座−象徴界に生まれる≫・フリートーク(テーマは『自分を守る』 )

            *9日(月)・13日(金)埼玉県大宮市

            詳しくは、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  
            Twitter https://twitter.com/rakuhomanami、を参照、連絡ください。 

            | 育児・子育て | 12:12 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
            421)語り続けたように子どもは育つ
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              シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
              なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

              今日は、「語り続けたように子どもは育つ」 について書きます。

              「私は〇〇の性格だ」
              「私は〇〇の人間だ」
              このように自分のことについて様々な表現をします。 
              そして、そのことについて普段は疑問を持つことは少ないかもしれません。
              では、そのような自分についてのイメージ(自我) をどのようにして手に入れたのでしょうか。

              例えば「私は明るい性格だ」と語ったとしましょう。
              では、明るい性格というのはどのようにして考えるようになったのでしょう。
              自分が思っただけで「私は明るい性格だ」と語れるでしょうか。
              自分以外の他者から何度もそのように言われ、「私って明るい性格なんだ」といつしか考えるようになったのではないでしょうか。

              このように、自分についてのイメージは実は他者から繰り返し言われることによって、それを自分の中に取り込んだと考える視点があります。
              自分についての他者の語らいを取り込んで、自分というイメージを創り上げたと考えます。
              これを「自我は他者の基で構成される」といいます。

              「私は明るい性格だ」と思っていた性格は、実は他者が自分について語ったことだった。
              つまり、自分についての語らいは実は他者の語らいだった
              このようになります。

              これを自分の子どもに置き換えてみます。
              すると、将来どのような子どもに育つかの基本は、育てる人(養育者)の語らいによって決まる。このようにいえるのではないでしょうか。
              優しい子どもに育てたいなら「あなたは優しいね」といつも語り続ければいい。
              可愛いと思える子どもに育てたいなら「あなたは可愛いね」と語り続けましょう。
              そうすればきっと語り続けたような子どもに育つことでしょう。

              シニフィアン研究所 楽歩愛真 HP http://signifiant-lab.com/
              Twitter  https://twitter.com/rakuhomanami

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              414)自発性を育てる=待つ
              0

                シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
                なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

                今日は、「自発性を育てる=待つ」 について書きます。

                自発性を育てるには、まずそばに居る人が『待つこと』だと考えます。
                自発性とは辞書によると、他からの教示や影響によるのでなく、内部の原因・力によって思考・行為がなされることとあります。
                簡単にいうと、自ら発すること。

                そのためにはどうすればよいか?
                それは簡単、ただ一つ『待つこと』
                その人が自ら発するその時をひたすら待つこと。
                そのために必要なことは「沈黙」
                つまり、その人を取り巻く人が黙って忍耐強く待つこと。
                何も言わず、何もせず、ただ待つのみ。
                これに徹すること。
                しかし関心は向け続けていること。

                この環境の中に居続けると、いつか人は何かを発せざるを得なくなる。
                なぜなら沈黙は人の思考や想像を作動させるから。
                眠りでさえも夢という思考を作動させる。
                外から見ると、何もしていないかのように見えるかもしれない。
                あるいは、寝てばかりだったり、ゲーム三昧だったりもする。
                それに対して口出さず、意見せず、ただひたすら沈黙を守り続ける。
                そうすると、いつか必ず何らかの言動を発する時がくる。
                その時をただひたすら待ち続ける。

                関心を抱きつつ、沈黙し待つこと。
                これが自発性を育てる最初の環境だと考えています。

                シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/  
                Twitter https://twitter.com/rakuhomanami 

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                413)自信を持つために
                0

                  シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
                  なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

                  今日は、「自信を持つために」 について書きます。

                  自信を持つためにはどうしたらいいですか、と質問されることがあります。
                  それは「あなたが信頼する他者から肯定される体験を持つことだ」と答えます。
                  人は自分で自分に「これでいい」「間違ってない」とどんなに言い聞かせても一抹の不安が残るものです。
                  それは人間である=言語を持っていることと関係が深いといわれます。
                  考えることも、思うことも、感じるということさえも言語の作用だから。
                  言語を廃して人は何ものも意識できないといわれています。

                  これらのことから、自分が感じたり、考えたりしていることが確かなことであると自分だけでは確定できない。だから自分以外の他者にそれを確認してホッとする。

                  五官の感覚を考えてみます。
                  今誰かが歌を唄っているのが聞こえたとします。
                  それを隣の他者が同じように聞こえていると言ったら、聞こえている自分の耳を疑わないでしょう。目もそうです。自分の見ているものが他者も同じように見えていると言ったら安心します。

                  このように自分の五感が他者と同じだと確認できたなら安心し、自分の五感を信じることができるでしょう。逆なら、自分の五官の感覚がどこかおかしいのではないかと疑いを持ち不安になることでしょう。そして、自分と同じように感じていると言ってくれる他者を探したくなるかもしれません。
                  この自分の五感に自信を持つには自分と同じだと言ってくれる他者を必要とするのです。つまり、自分に自信を持つには自分を肯定してくれる体験の積み重ねが必要だといえるでしょう。そして、その他者が自分が信頼する(好きな)人であればなお自信の度合いは強くなるに違いありません。 

                  これらのことから、自分に自信を持つには、傍に居る信頼する他者から肯定される体験を可能な限り多く持つことだと考えるのです。

                  もし、自分に自信がないと思ったなら信頼する人に肯定してもらいましょう。
                  もし、自信のある子どもに育てたいなら、肯定してあげましょう。
                  もし、肯定する方法が解らないとするなら学びましょう。
                  そうすればいつか自信を持てることでしょう。

                  お問い合わせはシニフィアン研究所まで http://signifiant-lab.com/
                  Twitterでもつぶやいています。 https://twitter.com/rakuhomanami
                   

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                  411)思春期の子ども
                  0

                    シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
                    なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

                    今日は、「思春期の子ども」 について書きます。

                    私たちは思春期を第二次反抗期と呼んだり、疾風怒濤の時期と呼んだりします。
                    この時期の子どもに一体何が起こっているのか。
                    ここでは、アイデンティティの確立の視点から考えます。
                    アイデンティティの確立とは「私はわたしである」との自我同一性を持つことを指します。
                    「自分は一体何者か」
                    「自分に一体何が起こっているのか」
                    「自分は何をしたいのか」
                    「これは本当に自分が求めていることなのか」
                    「生きるとは」などなど

                    このように、それまでは外へと向かっていた関心が自分の内面へと向かう時期でもあります。それまで周りから言われてきたことを再度自らに問いかけます。
                    それと共に身体生理的にも大きな変化が表れます。
                    いわゆる心身共に子どもから大人への移行期を思春期と呼びます。

                    「私はわたし」というアイデンティティを確立するには「私」を見るもうひとりの「わたし」という視点が必要です。一人の私を二人に分裂させる視点です。
                    これはまさしく「鏡に映った私」と「それを見るわたし」といえるでしょう。
                    それともう一人「他者が語る私」が加わります。
                    この三人の私が対話するのです。
                    そして「鏡に映った私」と「それを見るわたし」と「他者が語る私」を統合して一人の私であると結論づけること
                    これがアイデンティティの確立(自我同一性を持つ)へと繋がります。
                    色々な私がいるけれど、それでも「一人の私」だと再構成できること。
                    これを「アイデンティティの確立(自我同一性を持つ)」といいます。
                    そのようにして再構成したものが自我と呼ばれるものです。
                    つまり自我は様々な私の寄せ集めです。
                    そしてその内容よりも「私はわたし、他の人とは違う一人の私」だと考えられる方が重要です。

                    このようなアイデンティティを獲得するためには、年単位の時間が必要だといわれます。
                    様々な自我と出会って、迷い、怒り、戸惑い、否認、反抗、拒否、無視、受け容れ、再認している時期です。
                    これら自らの内面から突き上げてくる何かに自分でも手を焼いているのです。
                    ですから他者に対してもその存在や言葉が邪魔に感じ、苛立ち、イライラ、暴言を吐いたりします。
                    周りの大人は「やりにくい、難しい、何考えているか解らない」などと語ります。
                    それは当然です。
                    当の本人が疾風怒濤の中にいて、一番自分が解らず悪戦苦闘しているのですから。
                    子どもから大人へと脱皮する、まさしく産みの苦しみの時期とでも呼べるでしょう。

                    誰もが大なり小なり一度は通過しなければならない道です。
                    私たち大人は心配しつつも黙って温かいまなざしで見守るしかないでしょう。
                    必要なときは助けを求めるだろうと信じるしかありません。
                    見守り方(対応の仕方)を間違えなければ、きっと自力で通り抜けることでしょう。
                    このような思春期の子どもからのメッセージの読み解きと対応の仕方は様々あります。
                    関心を持たれた方は下記を参照ください。

                    シニフィアン研究所 HP http://signifiant-lab.com/ 
                    Twitter https://twitter.com/rakuhomanami

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                    407)やる気を持つ子に育てよう
                    0

                      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
                      なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

                      今日は、「やる気を持つ子に育てよう」 について書きます。

                      やる気はどこから湧いてくるのでしょう。
                      それは自己愛が育っているから。
                      自己愛の根底には自己肯定があり、自己肯定は大好きな人から認められることから育つといわれます。認められるためには、まず自ら発することが必要。これを自発性と呼びます。

                      つまり、やる気を持つ基本は自発性
                      やる気を育てるためには自発性を育てることだと考えます。
                      では、自発性を育てるためにはどうすればよいのでしょう。

                      辞書によると、自発性は「他から影響・強制などではなく、自己の内部の原因によって行われること」とあります。
                      それは行動でも、言葉でも何でもいい。
                      自ら発することが大事。
                      何らかの刺激がきっかけとなって湧いてくるものともいえます。
                      例えば、感情を考えてみましょう。
                      喜怒哀楽に代表される感情は湧いてくるのが基本。
                      決して人からもらうものではありません。
                      その人の何かが刺激となって自分の内側から湧いてくるものです。

                      このように、自発性は何らかの刺激に対して内奥から湧き上がり、様々な形で出てくるものといえます。その出てきたものが他者によって認められ、受け容れられる体験が、自らもその湧き上がってきたものを認め受け容れることでしょう。
                      認められることで子どもは自発性を持つことができるのです。
                      その蓄積が自己肯定につながり、自信を持ち、自己愛が高まり、やる気を持つことにつながる
                      これがやる気を持つ子どもを育てる基本だと考えます。

                      まずはその内容の是非や評価をする前に、子どもの自発性を認めましょう。
                      「あなたはそう思うのね」「そう感じるのね」と。
                      そうすればきっと、自発的にどんどんやる気を持ち、発揮することでしょう。 

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                      406)集中力の基は「まなざしと声」
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                        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
                        なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

                        今日は、「集中力の基はまなざしと声」 について書きます。

                        集中力をもつことが大事だといわれています。
                        集中力を持つ、あるいは高めるにはどうしたらよいかについてもノウハウ本は多々あります。
                        ここでは、その集中力の基は「まなざしと声」にあるとの仮説をたて考えてみます。

                        まず、集中力を持つとはどういうことか。
                        一つのこと(もの)に焦点を合わせることです。
                        いわゆる一点に焦点を絞ること
                        焦点を絞るには二つの方法があります。
                        ・自ら焦点を絞る何かを持っている場合
                        例えば目的や目標のものを持って探している場合です。
                        これは集中しようと意図している(集中する一点を持っている)ので、今は置いておきます。
                        ・自ら意図したものを持っていないのに焦点を絞ってしまう場合 
                        例えば、急に物音()がした時、大抵は反射的に音()がした方に顔(意識)を向けます。
                        つまり、音(声)が振り向かせた=音(声)に集中した、音(声)を出した一点からこちらに音(声)が向かってきたといえます。

                        これをまなざしに置き換えてみます。
                        誰かのまなざしが自分の方にやってくる。だからそのまなざしに顔(意識)を向ける。
                        この誰かからまなざしを向けられる体験が意識を向け、それに注意し集中する基ではないかと考えます。
                        その最初は、やはり自らを世話してくれた対象(養育者=母)からではないでしょうか。
                        自らが意識しない時から、ただ一人の人から継続的にまなざし(優しく暖かいまなざし)を与え続けられたなら、それと同時に優しい声で語りかけられたなら、自ずとその声とまなざしの方へと顔を向け、意識を向けることでしょう。
                        つまり眼差しと声に導かれてその方へと意識を向けるといえます。 

                        ここで特に重視したいのは、「ただ一人の人から」と「継続的に」です。
                        特に「ただ一人の人から」というのはそのまま一点(光源)に通じると考えるからです。
                        また多数いると、目移りしてしまって一点に絞れないでしょう。
                        集中する=一点に焦点を絞ることですから。

                        この繰り返しが身体に刻印され、やがて集中力へと繋がってゆくのではないか。
                        つまり、ただ一人の人から継続的に眼差しと声を向けられ続ける体験が後の集中力の基となると考えるのです。 

                        | 育児・子育て | 13:04 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP