整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は≪3月度関西出張のお知らせ≫について書きます。
* 7日(火)〜9日(木) 大阪市・和歌山市
面談・精神分析活用講座・≪鏡の段階講座≫他
フリートーク(テーマは「生活の顔」と「人生の顔」)
* 6日(月)・10日(金) 埼玉県大宮市
詳しくは、シニィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
Twitter https://twitter.com/rakuhomanamiを参照、連絡ください。
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≪気づいていないから症状を出す≫
自分が何を言いたいのか解らないから、症状として表現している。
その症状の意味に自ら気づいたとき、症状は結果的に消える。
なぜなら、症状が気付きという言葉に置き換わったから。
不言実行の人は言葉で言う代わりに行動で表現している。
病気やけがは自らの身体を使っての表現。
人はその環境の中で一番表現しやすい方法を選択している。
環境が変われば表現方法も変わる可能性がある。
その表現に振り回されず、みること。
そうすれば症状の意味がみえてくる。
自ら気づくことが大事。
その気づきを、気づかないうちに自ら気づくように、そっと一滴を作用させるのが整心療法家。
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今日は≪心を豊かにする方法≫について書きます。
心が豊かになるとは、自分と対象がナルシシズムの関係の中にいること。
このように表現できると考えます。
自分と対象の間に何も介在しないこと。
自分にとって対象が自分の思う通りになる対象であること。
つまり、対象が自分を否定しないこと。
対象が自分の理想を映す鏡の役割をしてくれる関係のことです。
対象が言葉を持っていなければ、自分を否定することはありません。
動物を飼育する人が増えているのも、その現れだといえるかもしれません。
自分を必要とし、可愛がればそれに応えてくれる 存在。
そして何より「ダメ」と言わない存在。
自然も然り。
ただ存在しているだけ。
だから心が癒されると感じるのでしょう。
心が疲れたら、自然の中に身を置いてみましょう。
そして、言葉が恋しくなったら肯定してくれる人に遇いに行きましょう。
そうすれば、心が豊かになることでしょう。
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今日は≪うつ≫について書きます。
うつは心の風邪ひきだと表現され、だれでも陥る可能性があるといわれます。
日々の生活の中での喪失体験が引き金となってうつ状態になることが多いようです。
ここでは、うつはラカンがいう「鏡の段階」へ退行した状態との観点から考えてみます。
『自我は他者のもとで構成される』
簡単にいうと、鏡に映った像を見て、「これが私だ」と知りそれを引き受ける体験。
うつという状態は、この段階へ退行し、再度「これが私だ」と自己規定しようとする試みだと捉えます。
そこへ退行するきっかけはそれまで自分を映していた鏡が無くなった時。
例えば以下のような問いに遭遇したときです。
「あなたは何者ですか?」→「私は何者だ?」
「あなたは何をしたいですか?」→「私は何をしたいんだ?」
「あなたはどう思う?」→「私はどう思っているのか?」などなど
それらに対して「分からない」「知らない」「考えても仕方ない」なども一つの答えです。
つまり、「答えの内容ではなく、何も言葉を発せなくなった時」その時が問題。
その結果動けなくなる。
このように考えると動くための道筋がみえてきます。
鏡に映し、それを自分だと言える体験をすればいい。
ただその鏡には一つ条件があります。
それは、その人が安心だと感じる鏡であること。
その鏡が見つかれば大丈夫。
必ず動き始める時が来ます。
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今日は≪心を癒す方法≫について書きます。
心が疲れ、それが持続し、その人の限界を超えた時。
そんな時、わたしたちの体は自分を守るための機能(自己治癒力)を発動するといわれます。
その表現方法は人それぞれ、同じ人でもその状況により 変化します。
あらゆる手段を使って元の状態へと戻そうとするようです。
それが表面的に不都合なことでも、その人にとってその時その方法が最善だった。
その視点からみる時、「人は皆、自分を癒す方法を知っている」と考えられます。
結論からいうと、今のところ具体的な方法は解りません。
ただ、ある何かがきっかけとなって自ら癒す方法に気づき、治癒に至ることもまれではないようです。
ある何かとは、音や匂いや味、ある状況、ある言葉だったりする。
不思議なことに、本人もなぜだか解らないと言います。
それはおそらく、日々の喧噪のなかで隠されてしまっているのではないでしょうか。
それがある何かをきっかけに湧き上がってくる。
もしそれを整心療法家が意図的に用意できるとしたら、今よりもっと気楽に癒すことができるのではないか。
そのように考え、研究、トレーニングをしています。
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それに伴い、ブログの名称を「シニフィアン研究所」から『整心科学研究所』に変更することにしました。
その詳しい内容に関してはまだ研究中であるなどの理由により、ここでは明記しないこととします。
これからは、その視点から気づいたことを可能な限り簡潔に書くことを心がけます。
なお、Twitterも併せてフォローしていただくとブログとの関連性がより解りやすいかと思います。
また、HPも新たに作成中ですが、それまでは従来のHPを参照ください。
Twitterは https://twitter.com/rakuhomanami
HPは http://signifiant-lab.com/ です。
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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の整心療法家、楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知り、実践したいと考えている人にとって、整心療法という対話療法は有効な方法です。
今日は「12月度関西出張のお知らせ」 について書きます。
* 6日(火)〜8日(木) 大阪市・和歌山市
面談・精神分析活用講座・≪鏡の段階講座≫他
フリートーク(テーマは「ひと区切り」)
* 5日(月)・9日(金) 埼玉県大宮市
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≪自らの心が整っていく=整心療法≫
ただ雑談をしているだけなのに、気づいたら何となく調子がよくなっている。
気にならなくなっている。調子が良くなっている。
そんなことが知らないうちに起きている。
これらの状態になることを『心が整う』と呼ぶ。
それは、意識の隙間を通り抜けて無意識と呼ばれるものに作用する。
本人が気づかない形で作用を及ぼしている。
喩えるなら、サブリミナル効果のようなもの。
雑談時には何の変化も感じない。
その作用は徐々に進行し、後に本人にも自覚できるものとなる。
ただ、その自覚の仕方にも特徴がある。
自らが思いついた、考えたという形での自覚。
そのような療法を『整心療法』と命名した。
作用を与える側には緻密な準備とトレーニングが必要なことはいうまでもない。
今日は「11月度関西出張のお知らせ」 について書きます。
* 8日(火)〜10日(木) 大阪市・和歌山市
面談・精神分析活用講座・≪鏡の段階講座≫他
フリートーク(テーマは「『知る』喜びと『ワカラナイ』不安」)
* 7日(月)・11日(金) 埼玉県大宮市
詳しくは、シニィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
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≪野原でセラピープロジェクト≫
従来型の精神分析に疑問を持ち、精神分析をも包括した新しい観点からの療法に出会いました。
クライアントと時空を共有することで、クライアントの心身が自ずと整っていく。
その療法を活用するために新しく『野原でセラピープロジェクト』を立ち上げ、その療法を活用する人を『整心療法家』と命名しました。
まだ、スタートしたばかりですので、詳細は追ってtwitterやHPにて掲載する予定です。
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「9月度関西出張のお知らせ」 について書きます。
* 6日(火)〜8日(木) 大阪市・和歌山市
面談・精神分析活用講座・≪人間講座−象徴界に生まれる≫他
フリートーク(テーマは「自分を好きでいる」)
* 5日(月)・9日(金) 埼玉県大宮市
詳しくは、シニィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
Twitter https://twitter.com/rakuhomanamiを参照、連絡ください。
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≪ただ何となく良くなってる気がする≫
「言葉で説明できないけど、何となく良くなってる気がする」
時折、こんな語らいを耳にする。
そんな時、少しホッとする。
刺激が強いとき、人はそれに圧倒される。
するとそれに対する反応も大きくなる。
逆に刺激が弱いとあまり気にしない。
そんな刺激が重なると、緩やかに浸透しやすい。
そして、気がつかないうちに取り込んでしまっている。
そんな時、何となく違う気がする、良くなってる気がすると表現する。
今日は、「心の自己治癒力」 について書きます。
人間の体は「自己治癒力」と呼ぶものを持っていると言われています。
それと同じように、心にも「自己治癒力」と呼べるものを持っているようです。
では、心の自己治癒力とはどのようなものか。
自動的に作動するものか否か。
自動的ではないとすると、どうすれば作動するのか。
これらについて今の時点で考えていることを書いてみます。
なぜ心にも自己治癒力があると言えるのか。
今はクライアントを通して学んだとしかいえません。
結果的にクライアント自らが治していくのです。
もちろん、分析家は理論に基づいた姿勢でその場にいます。
でも気づき治していくのはクライアント自身なのです。
クライアントと分析家は限られた時空を共有し、クライアントが語ることで時空を変化させます。
(語るのは言葉だけではありません)
その変化を分析家が受け止める。
その時空の中での変化がクライアントの自己治癒力を作動させるきっかけとなる。
この体験が共有の時空を離れても継続しているようです。
その何らかの変化を持って次回やってくる。
そしてまた自ら新たな刺激を作動させる。
その繰り返しの中で治癒していく。
目前の苦悩は表面に現れた症状と捉え、それを裏側で支えている何かを変化させれば症状も変わる。
その観点から、クライアントと分析家の限定された時空がクライアントの心の自己治癒力を刺激するのだと考えています。
その経験が限定的であり、非日常的な時空を設定するからこそ作動させることができるのでしょう。
自らの心の自己治癒力を作動させるきっかけは、日常のあちこちに転がっているのかもしれません。
ただ、それを自己治癒力を作動させるきっかけとするためには、ある特別な刺激が必要なのかもしれません。
その刺激を精神分析家は意図的に、しかもクライアントにそれと気づかせない形で用意していると言えるでしょう。
その刺激を受けるからこそ人は自ら治癒してくのではないでしょうか。
そのようなことを日々クライアントから学んでいます。
クライアントと分析家が意図的に時空を共有する場がセラピールームなのです。
今日は、「8月度関西出張のお知らせ」 について書きます。
* 2日(火)〜4日(木) 大阪市・和歌山市
面談・精神分析活用講座・≪人間講座−象徴界に生まれる≫他
フリートーク(テーマは「前向きに行動する」)
* 1日(月)・5日(金) 埼玉県大宮市
詳しくは、シニィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
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≪便乗する前に≫
様々な出来事に遭遇する時、人はそれぞれの立場や価値観から意見を持ち時には発信する。
自己主張や言論の自由の観点から、是非は問わないし問われない。
ただ、まことしやかな観点とされる意見に同調し、増幅する場合がある。
それが多数になる時、それが思いもかけない大きな力となる可能性がある。
そのことにどれだけの人が気づき、自らに問いかけているかと考えてみる。
それも一つの考え、これもそう、あれもそう。
一つの事柄も、見る方向が変われば見え方も変わることを忘れないでいたい。
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今日は、「7月度関西出張のお知らせ」 について書きます。
* 5日(火)〜10日(日) 大阪市・和歌山市
面談・精神分析活用講座・≪人間講座−象徴界に生まれる≫他
フリートーク(テーマは「差異の認識」)
* 4日(月)・11日(金)埼玉県大宮市
詳しくは、シニィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
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≪言葉の前に+もしくは−の符号が付いている≫
言葉そのものには、その前に+(良い)もしくは−(悪い)の符号は付いていません。
私たちは日々それらの言葉を使って意思伝達をしています。
ところが、その意味内容によって気づかないうちに+(良い)もしくは−(悪い)の符号を付けてしまっている。
その意味によって意思表示や伝達をしているつもりが、+か−の符号で判断してしまっている。
そして、他者に対してだけでなく、自分をも+か−の符号で判断している。
それによって、時には自責の念に捉われたり他者批判したりする。
それも自らそのことに気づかないまま。
そこから苦悩や争いも生じてくるのではないでしょうか。
+、−の是非ではなく、自ら意識しないうちにそれらの符号を付けて(付けられて)しまっていることに気づくことが大切だと考えます。
気付いたなら、不必要な自責や他責は激減し、新たな何かが見えてくるのではないでしょうか。
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シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。
今日は、「比べない・評価しない・裁かない」 について書きます。
家庭や社会の中での対人関係や、子どもや人を育てる上で大切な姿勢について考えてみます。
相手のためを思ってとの言葉とともに、陥りがちな三つのことについて書いてみます。
1. 比べる
一番やりがちなことでしょう。
家庭内では兄弟姉妹間、親戚や近所の同世代の人との比較。
社会では、同僚や会社、組織内での比較。
他には、過去の自分と今の自分、理想と現実、何らかの教義や主義主張と自分なども含みます。
2. 評価する
学校や社会ではこれを中心に決定されることが多いかもしれません。
比べた後には必ずと言っていいほど評価をしてしまいがちです。
3. 裁く
比べ、評価し、そして最後に裁くと続きます。
結果、「だからダメだ」と否定して(されて)終了となります。
「比べる」「評価する」「裁く」
これらの言語自体に良い(+)悪い(−)はついていません。
ただ多くの場合、これらの言語の前に(−)の符号をつけて使いがちではないでしょうか。
ですから、どうしても否定的な響きをより強く抱いてしまいます。
そして、最後は自他ともに「ダメだ」に辿りついてしまいます。
以上のことから、対人関係などにおいて自他ともに育てるために必要な姿勢がみえてきます。
まずは、
「比べない・評価しない・裁かない」
これらの連鎖をしない方法はまず「誰とも、何とも比べないことだ」と考えます。
人は比べたら評価したくなるし、評価したら善悪をつけて裁きたくなるものです。
だとしたら比べないのが一番。
そこにあるのは「差異」それだけではないでしょうか。
シニフィアン研究所ではこの観点から分析、レクチャーをしています。
]]>今日は、「5月度関西出張のお知らせ」 について書きます。
*10日(火)〜12日(木) 大阪市・和歌山市
面談・精神分析活用講座・≪人間講座−象徴界に生まれる≫他
フリートーク(テーマは「愛は二人の外部にある」)
*9日(月)・13日(金)埼玉県大宮市
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☆ 人は皆、自己治癒力を持っている
身体においても自己治癒力とかホメオスタシスがあるといわれるように、心にも自己治癒力とでもよべるものが備わっていると考えられる。
日々、クライアントとの語らいの中で、時としてそのような事象に出くわす。
分析家はそのためのタイミングと適切な表現を心得ていれば十分だと思う。
それは、スキー板で雪面を滑り降りる時のストックの操作にも似ている。
自らの裡に備わっている力を引き出す、あるいは刺激するといっていいかもしれない。
『クライアントが自らを治癒する』
このように言っても過言ではないように考えている。
今日は、「マイペースを創る」 について書きます。
物心ついた頃からしつけという名のもとに、周りに合わせること(協調性)を強いられてきた人は多いだろう。
大人になってもいつの間にか周りに合わせることを基準にしてしまっているかもしれない。
そんな中で、周りに合わせることに疲れ、疲弊し、やがて外に出ていけなくなる人がいる。
その結果、「引きこもり」などという名称を付けられる。
彼らにとって、引きこもることは自分を守るための一つの手段でもある。
この観点から考えると、無理やり引き出そうとすることは必ずしも得策とは限らないだろう。
引きこもるにはそれだけの理由があるのだろうから。
自分のペース(以下マイペース)が解らなくなってしまった時はどうすればいいのだろう。
まず、マイペースを創ること。
なぜならほとんどの場合、何がマイペースかさえ解らなくなってしまっているから。
それまで周りに合わせることばかり考えてきたのだから、解らなくて当たり前。
それなら今から創ればいい。
その一つの基準は「自分が楽な方を選ぶこと」。
まずこれを決め、それに従って判断する。
これを少しずつ重ねていくと、マイペースがみえてくることだろう。
追記
これらを実践するには、他者のサポートが必要となってくることを申し添えておきたい。
今日は、「4月度関西出張のお知らせ」 について書きます。
*5日(火)〜7日(木) 大阪市・和歌山市
面談・インテグレーター養成講座・≪人間講座−象徴界に生まれる≫
フリートーク(テーマは「幸福感〜無知と貧困」)
*4日(月)・8日(金)埼玉県大宮市
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☆ ボチボチとマイペース
関西のある地域では、慌てず自分のペースで物事に取り組むことを『ボチボチやる』といいます。
よく例として挙げられるのは「儲かりまっか?「まあボチボチでんな」という会話でしょうか。
他にも「まあ慌てんとボチボチやんなはれ」などなど。
「ボチボチやる」ことと「マイペース」は とても大切なことだと考えています。
周りに合わせることに必死で、自分のペースが解らなくなってしまい立ち止まってしまった人。
マイペースが最初から学習できなかったのではないかと考えられるケースもあります。
常に誰かのペースに合わせることばかりを求められ、それを自分のペースだと錯覚している。
そのまま進めている間は問題はありません。
ただ、何かがきっかけとなって疑問を持ち始めた時、人は戸惑い、立ち止まってしまうようです。
そんな時、『今はこれでいい、ボチボチやりましょう』と言うことにしています。
マイペースが解らなくなっているのですから、立ち止まった状況を今は良しとする。
そして慌てず自分にとってのマイペースとは何なのかをじっくり考えながら探していきましょう。
そう言います。
《慌てずボチボチとマイペースとやらを探しませんか。》
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