≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法を研究、実践中です。
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    不毛地帯
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      不毛―土地がやせていて作物や草木が育たないこと。また、そのさま。
              なんの進歩も成果も得られないこと。また、そのさま
      不毛地帯に生きているとは?
      何の生産性もなく、何の進歩もなく、何の成果もない
      そんな精神世界に生きている
      そんな自分を防衛するための強迫性格
      「〜ねばならない」
      「〜すべき」
      それを守ることが素晴らしい生き方だと、仕合せになる秘訣だと刻印されていた
      社会が描く虚像に同一化し
      盆踊りのように同心円を描きながら行きつ戻りつ汗を流す
      時にはゆっくり
      時には早足で歩き
      時には全速力で走る
      誰よりも早く、誰よりも高く、そして誰よりも遠くへ
      そして誰よりも一所懸命生きていると実感していた
      しかし、それは錯覚、幻想の世界
      始まりも終わりももはや識別できない円周を回っていただけ
      同じ軌道をただただ回っているだけ
      決してその軌道から外れることはない強迫性格
      速度の差があるのみ
      そして、その軌道の内側は
      「不毛地帯」
      そう、何の生産性も、進歩も、成果もない荒涼たる殺伐とした地帯
      どれほどの時間を費やしてきただろう
      どれだけのエネルギーを浪費してきただろう
      どれだけの血と汗と涙を流してきただろう
      一所懸命生きてきたつもりだったのに
      ただ同じ軌道を必死に回っていただけ
      空しい、、、虚しい、、、貧しい、、、空虚で貧弱な貧相な場
      打ちのめされ、崩れ落ち、茫然自失
      思考停止、時空の停止と崩壊、消失
      殺風景な場に立ち尽くすのみ
      立ち直れるだろうか?
      歩み始められるだろうか?

      共に歩み始めましょう
      シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
      | 生き方 | 15:09 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
      切断
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        区切る、切断するのはなぜか?
        連続な何かがあるから
        区切るとは、句読点を打ち、新たなスタートを意味する
        切断の無いところに、スタートはない
        ただ連続があるのみ
        平坦で変化も無く、途切れず永遠に続くなら
        人は退屈するだろう
        しかし
        その連続が波乱万丈でデコボコで険しければ
        決して退屈などしていられないし
        一所懸命努力し、精一杯生きていると感じるだろう
        だが、連続であることに変わりはない
        しかし、切断は違う
        途切れるからこそ、またスタートをする
        切れているからスイッチを入れる
        切れているから一つの始まりがある
        部屋の仕切りがあるから名称を付けて区別する
        私の部屋、リビング、ダイニング、トイレ、バスルームetc
        区切りがなければただの空間に過ぎない
        電燈のスイッチが切ってあるから、スイッチを入れる
        ドアが閉まっているから開ける
        区切りがあるがら、新たなスタートができる
        つまり
        いつまでもスタート、再開できないのは
        区切り、切断がないからだと言える
        終わりにできないから始められない
        新たなスタートが切れないのは、まだ終わっていないからだ
        区切れたなら、また必ずスタートする

        切断できない人、躊躇する人、スタートできない人はご相談ください。
        シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
        | 生き方 | 16:36 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
        「性」は獲得するものである
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          誕生と共に「性別」が確定される
          いわゆる「男の子」「女の子」
          生物学的に確定された「性」である
          それとは別に「ジェンダー」と呼ばれる社会的、文化的性差がある
          ここでは
          「ジェンダー」と呼ばずに「性の自認」と呼ぶことにする
          大抵は生物学的性と自認の性は一致している
          ところが
          性同一性障害と呼ばれる人たちがいる
          生物学的性と自認としての性の不一致
          このことから
          「性」は獲得するものだとの観点が生まれる
          では「性」はどのようにして獲得するのだろうか?
          性の自認は性差の認識でもある
          性に差がなければ、そもそも性を意識することもない
          男と女の性差をどこで認識するか?
          発達論的には3歳を過ぎる頃から
          男性性器が付いている付いていないという視覚的なものから差を知ると言われる
          自分はどちら側であるか?
          パパと同じか?ママと同じか?
          幼少期には視覚的なものが大きいからだ
          そして、何よりも周りからどう語られ、どのように扱われるか?が重要となる
          つまり
          「男の子でしょう」「女の子でしょう」とどれだけ言われ、扱われてきたか?
          これが性の自認に繋がる
          よく例として言われるのが
          「男(女)の子だから・・・」
          「男(女)の子なのに・・・」
          「男らしくない」「女らしくない」
          そして服装や髪型、言葉遣い、おもちゃや習い事、立ち居振る舞いなどが加味される
          男女差があるから性別を意識する
          性差のないところに性の自認は生まれにくいと言える
          生物学的性差と性の自認は別のことである
          その是非を言うつもりは無いが
          この二つの性が一致しない場合、性への葛藤がより多く生じることは確かであろう
          性についてお悩みの方は、一度ご相談ください
          シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
          | 恋愛・結婚 | 22:10 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
          外傷体験
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            自然災害や事故、暴力や虐待などの外力による体験を外傷体験と呼ぶ
            それらの外傷体験をしたからといって、すべてが心的外傷となるわけではない
            同じ体験をしても、人それぞれ感じ方、受け止め方が違う

            被害者となり、圧倒的な外力によって「無力」や「孤立無援」を痛感し
            それらに対して抵抗や闘争を試みたとしても
            いずれも無益に終わった場合、
            防衛システムが崩壊、解体する方へと向かう
            これらの外傷体験や危機が現実に無くなった後も
            引き続き長時間にわたってシステムの異常事態が続く

            この余りにも激しすぎる状態は心身ともに様々な変化をきたす
            その体験の記憶が無くなり、思い出せない

            逆に細部に渡り記憶しているのに、何の感情も湧かない
            感情は記憶しているのに、体験の記憶がない
            いつも緊張し、憔悴しているがその原因がわからない
            突然、意志とは関係なくその体験が入り込んでくるetc
            何らかの外傷体験がある場合、心身に刻印され症状となって現れてくる
            これらの症状がある人は、PTSDの可能性が高い

            もしかしたら・・と思われた方はご相談ください 
            シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
            | PTSD−心的外傷後ストレス障害 | 20:08 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
            飼育と調教
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              理想のイメージに少しでも近づけるために必死に教える
              その為には時間とエネルギーとお金は惜しまない
              他のことを犠牲にしてまでもつぎ込む
              そのことが生きがいであるかのように
              ますます狂信的にのめり込む

              「これだけ全てを犠牲にしているのだから期待に応えて当然だ。そのためなら何でもする」
              少しでも期待に応える兆しが見えれば
              「これは見込みがある」
              「もっと強化すればもっと伸びる」
              反面、期待を裏切るようなことがあれば
              形相を変えてムチを振り下ろす

              「どれだけあなたのためにすべてを犠牲にしてきたと思ってるの!」
              「もっと頑張りなさい」
              「できるまで食事はお預け」
              叱咤激励は加速する
              どんどん強迫的に、脅迫的になり、付きっきりですべてを管理する

              かたや、その期待に応えようと必死に努力する
              他のすべてを犠牲にし、ハアハア喘ぎながらも走り続けようとする
              こうしてニコイチ、運命共同体ができあがる

              重みで足が地面に食い込むような期待を全身で背負いながら
              歯を食いしばって、ひたすら走り続ける
              これらの必死の苦労は他者へのお披露目でクライマックスを迎える
              この日の為に血の滲むような努力をしてきたのだ
              すべてはこの日の為に!

              周りからの歓声と鳴り止まない拍手喝采を浴びる
              誰の喜びか?誰の満足か?

              それは飼育員と調教師
              飼育された側に主体性はない

              あなたに覚えはありませんか?

              シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
              | 育児・子育て | 19:48 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
              見ているだけでトラウマになる
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                虐待されることで心的外傷を受け、それがトラウマとなる
                それは頷けること
                しかし、その虐待を見ていた人の方ががトラウマとなる場合がある
                親から兄弟が虐待を受けていた
                自分はなす術もなく、ただ逃げ出すことも加勢することもできず
                見ていることしかできなかった
                おまけに
                「お前も言うこと聞かなかったらこうなるんだからな!」
                と威嚇される
                親の前で無力な姿
                あるいは
                母親を虐待する父親を見ている場合もある
                父に対する怒りと母に対する同情
                非力で父の暴力に屈する母への怒り
                強大な力の前の圧倒的な無力を見せ付けられる体験
                家庭内だけではなく
                戸外でもある
                目撃者となり、その場から立ち去ることもできない
                無力な自分を経験した場合
                直接的に受ける暴力だけでなく
                時には見ている方が心的外傷を受ける場合も多い
                次は自分の番かもしれない
                いつ自分に危害が及んでくるかもしれない
                自分の方がもっと酷いかもしれない
                どうすれば逃れられるのか?
                やっぱり無理だ
                怖い、どうしよう
                黙って耐えるしかないetc
                何もされていないにも関わらず脅え、凍りつく
                このように見ている方も同じく、あるいはそれ以上に
                脅えや恐れを痛感している可能性が高い

                トラウマがある方、かもしれないと思う方は
                是非、ご相談ください。
                シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
                | - | 14:34 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                鏡を破壊せよ!!
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                  人は鏡の世界に閉じ込められている
                  その世界からいかに脱するか?
                  ナルシシズムの語源とも言われる「ナルキッソスの神話」のように
                  水面に映った自分の姿に魅了され、そこから離れることができず
                  やがて衰弱し死んでゆく
                  鏡の中の姿は虚像であり、自分と言う実像はこちら側にある
                  これは自明のことだと言うかも知れない

                  では
                  テレビや雑誌などの宣伝に乗せられて衝動買いするのは?
                  「〇〇すればあなたも△△のようになれる」
                  の言葉に、映像に自分の姿を重ねて見ていないだろうか?
                  Aさんがブランド物を買った―私も欲しいと無理をして買う
                  Bさんが家を新築した―羨ましいと思うと同時に嫉妬する
                  数えあげればきりがない
                  他者という名の鏡に映った自分の姿を見ている
                  まるでそれが自分であるかのように錯覚している
                  同じ服装や髪型をすれば、その人になったかのようだ
                  セレブご用達とのキャッチコピーに振り回される
                  自分が実像で鏡の像は虚像のはずだが
                  いつの間にか虚像に振り回されてしまっていることにも気付かなくなっている
                  このようにして鏡の世界に閉じ込められた夢見る幻想世界の住人となる
                  他者が望む虚像に同一化し、自分と言う実像を虚像に置き換える
                  鏡のトリックに騙され、それさえも認識できなくなってしまっている
                  幻想の世界を映す鏡を破壊せよ!
                  夢見ることの是非を言っているのではない
                  ありのままの自分を映す鏡を持ち、しっかり現実を見つめる勇気を持とう
                  自分が居る世界と鏡の世界の混同から抜け出そう
                  それが自己認識への第一歩である

                  シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
                  | 生き方 | 15:01 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                  無力化
                  0
                     
                    子育てはある種の闘争だと思える時期がある
                    代表的な最初は「トイレットトレーニング」
                    「オムツの中にしたい時にする」垂れ流し VS 「決められた場所でする」コントロール
                    親の側では「いかに程よく躾けるか?」がテーマとなる

                    子どもの側では、決められた場所でするしないを選択する権利を得ることで
                    親をコントロールする(振り回す)ことを学習する
                    この両者の闘争とも言える時期に厳しく躾けすぎると「無力化」の基礎を作ってしまう
                    自分の思うとおりに躾けられないと、親は自分の無力を感じる
                    この無力感を否認するべく、是が非でも躾けることに躍起になる

                    失敗したらお尻を叩いて怒る
                    特に夜は無理矢理起こしてトイレに連れてゆくetc
                    威嚇と体罰で従わせようとする

                    それに対して子どもは、泣きわめきや暴れ、時には「おねしょ」で対抗する
                    それでも強大な親の躾けの前に屈したなら、自分の「無力感」を味わてしまう

                    闘争の結果、子どもは「敗者」になったのだ
                    これらの上に、「躾け」という名の支配が重ねられてゆく
                    「〜しなさい」
                    「〜したらダメ」
                    圧倒的強者の前に屈することを刻印付けられ
                    親の言うことをよく聞く、従順な良い子が出来上がる

                    ココに至って、親の支配は完成する
                    以後、素直な良い子の仮面が子ども自身をコントロールする
                    「〜ねばならない」
                    「〜すべき」の仮面が締め付け、ますます無力化を推進することになる

                    この事実に親も子も気付くことは非常に難しいものとなる
                    自分は敗者だと常に感じていないだろうか?
                    自分は無力だと常に思っていないだろうか?

                    「良い子」「良い人」になりすぎていないだろうか?

                    「しつけ」や「良い人」になりすぎて困っている人は
                    こちらまでお気軽に連絡ください。
                    シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
                    | 育児・子育て | 18:26 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                    なぜ「NO」が言えないのか?
                    0
                       
                      NOの言えない日本人
                      なぜ「NO」が言えないのか?
                      ・相手の事を考えて
                      ・断ったら悪いから
                      ・あんなに一所懸命してくれるから
                      ・気を悪くするのではないだろうか
                      ・次に会った時に気まずくなるから
                      ・普段お世話になっているからetc
                      どんな思いが浮かんだろうか?
                      NOを言うこと=断る=相手を否定する=自分を否定する
                      この図式がどこかにあるからではないか?
                      NOを言うのは、今提示されている事柄に対しての自分の意志表示であって
                      その人を否定することではない
                      たとえ、そんなことを言う相手が嫌いだと言ったとしても
                      その人の全てを否定した訳ではない
                      部分を全体だと聞いてしまうと「NO」がなかなか言えない
                      たとえば
                      「嫌だ、嫌いだと言われたからもう二度と口をきいてもらえないかもしれない」
                      「この間嫌いだと言っていたのに、今仲良くしてるなんて訳分からん」
                      こんな風に感じてしまう
                      これは
                      NOと言ったこと自体(その人の部分)と、その人自身(その人全体)との弁別がないからだ
                      その人=自分自身
                      この図式があるから、NOと言うことは自分がNOと言われたと等価となる
                      つまり
                      何らかの陽性の思いを持っている相手=自分を投影した姿=鏡の中の自分
                      好きな相手は自分の理想の姿となる
                      だから、その人に「NO」と言うとそのまま自分に跳ね返ってくる
                      相手を否定することは、とりもなおさず自分を否定することと感じてしまう
                      だから「NO」が言えなくなるのである
                      これを「自他未分化」と言う
                      「NO」が言えるのは勇気があるのではなく
                      自分と他者はまったく別の存在であると認識している=自他分化している
                      からである

                      シニフィアン研究所のHPはこちら http://signifiant-lab.com/
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                      なぜキレる?
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                        「キレる」この言葉が一時期流行のようになったことがある
                        最近はあまり聞かなくなったように思うが
                        その状態の人は決して少なくなったとは思えない
                        キレるというのは、自分の感情を抑えきれず、
                        腹を立てたり人に危害を加える行動に出ることもある
                        自分の感情をコントロールできない状態が頻繁に見られること
                        いわゆる「感情爆発傾向」にある人
                        自分の思うようにならない時
                        イライラや腹立ちの感情が湧いてくるのは当然
                        その感情をどうするか?
                        つまり処理の仕方が問題となる
                        「すぐ腹を立てる」「怒鳴る」「殴る」「暴れる」などの行動で処理すると
                        キレやすいと言われる
                        ではなぜキレるのか?
                        「言語化できないから、行動化する」と言える
                        その時の自分の感情を適切な言語に置き換えられたならキレる度合いが減る
                        適切な言葉が見つからないから
                        感情をそのまま吐き出すしかない
                        たとえば
                        「アホ」「バカ」「ボケ」「クソ」「死ね」「うるさい」「黙れ」など
                        そのように思っていないのに口癖のように吐き出してしまう
                        一言、ワンフレーズしかない、つまり言葉を知らないのだ
                        キレない子どもを育てるにはどうしたら良いか?
                        言葉を学ぶ機会を多く持てる環境を整えることが大切だと思う
                        なぜなら、子どもは真似をすることで覚えてゆくから
                        (1)本を読む=文章を読む=語彙を増やす
                           面白いと思う本(文章)の方が良い
                        (2)時々の場面で適切な言葉を教える
                           「〜がしたかったのにできなかったから怒っているのね」
                           「〜が欲しいのに貰えなかったので泣いているのね」
                           「そんな時は〇〇と言えばいいのよ」
                        (3)感情を適切な言葉に置き換える環境が大切
                           周りの大人が適切な言語を知り、使っていること
                        「人間は感情の動物だ」とも言われる
                        時にはキレることもあるだろうし、キレることはいけないと言い切れない
                        キレることがダメなのではなく
                        キレることでしか表現することができないことが問題なのである

                        キレる子どもさんでお悩みの方はこちらまでご相談ください
                        シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
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