≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法を研究、実践中です。
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    男には「ある」が女には「ない」
    0
       
      男の子には「ある」けれど、女の子には「ない」もの
      その代表は「ペニス」
      お父さんにあって、お母さんにはないもの
      これが一般的に分かり易い性差です

      この身体的な「ある」「ない」を
      もっと広い意味での「ある」「ない」に置き換えてみましょう
      男に付いているペニス=男には「ある」
      女には付いていないペニス=女には「ない」

      この男女の差異が基本となって、
      その上に様々な差異を積み上げてゆくのです
      男には「ある」から、それを振り回し、伸縮を繰り返し、象徴となります
      その反面、切り取られる不安(なくなる不安)を持ちます=去勢不安
      女には「ない」から、それを欲しいと欲望するでしょう=ペニス羨望
      しかし、切り取られる不安(なくなる不安)はありません
      なぜなら、元々無いのですから

      女はこの男の不安を脅かさないようにしましょう
      「ある」ことを承認賞賛し、称えましょう
      「さすが男ね」と!

      「ある」から振りまわせるのです
      「ない」ものは振り回せません
      「ない」ものは「ある」ものを去勢しないようにしましょう
      つまり
      「ない」母は「ある」父や息子を切れないのですから
      言葉や態度で押さえつけたり、潰さないようにしましょう

      父や息子には「ある」のだから
      普段は逞しいと見えなくても、
      『イザ今、イザこの時だ!』と思った時には逞しくなり、
      敵を断ち切る刃ともなるのです
      女には聳え立たせるものが、最初から「ない」のです

      このことを、女が母が認めたなら、
      『イザ今、イザこの時だ!』が訪れた時
      しっかり聳え立ち、敵に立ち向かい、女を守ってくれることでしょう

      女のみなさん、この「賢明さ」を持ちましょう!!

      詳しくはこちらまで シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/
      | 育児・子育て | 11:31 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
      その一歩を踏み出すためには「決断する」だけ!
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        何かをしたいけれど、
        「それができる状況ではない」
        「しがらみがあってできない」
        「勇気がない」
        「協力者がいないからできない」
        など、それぞれの理由をあげて、現状を変えられないと言う
        確かに、どうしようもできない理由もあるかもしれない

        しかし、
        勇気があるから、踏み出せるのだろうか?
        状況が整っているから、出来るのだろうか?
        何のしがらみもないから、飛び出せるのだろうか?
        協力者があったら、できるのだろうか?

        一歩を踏み出す人と、踏み出さない人との違いは何だろう?

        「勇気」でも「状況」でも「しがらみ」でも「協力者」でもない
        それは「一歩を踏み出す」と決める事=決断する事
        「それをする」と決断する事
        ただそれだけ!

        決断すれば、後は実行するだけ
        それに向かって努力する
        成功するためにどうすれば良いか、知恵をしぼって考える
        試行錯誤しながら、学ぼうとする

        その意欲が、必要なものや人を引き寄せる
        必ず、協力者が現れる
        必ず、必要な知恵を見出す
        しがらみがあっても、それを断ち切れる
        勇気が湧いてくる
        困難な状況も打破できる
        どんな困難や障害があろうとも、必ず向こうから避けてくれる

        必要なことは
        ただ「やる!」と決断するだけ
        そうすれば、必ずそのための一歩を踏み出せるだろう
        決断すること、それを人は勇気と呼ぶ

        踏み出せない人、決断できない人は
        シニフィアン研究所まで、ご相談ください

        シニフィアン研究所 http://signifiant-lab.com/
        | 生き方 | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
        男の子は探検が大好き
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           男の子は探検が大好きなのはなぜ?
          高いところによじ登るのが好きなのはなぜ?
          バットを振り回し、野球やサッカーやバスケットボールなど
          球技が好きなのはなぜ?

          それは「男の子だから」
          特に洞穴探検が好き
          洞穴=母の子宮
          穴の中には何があるんだろう?
          どうなっているのだろう?
          知りたい!!

          バット・ボール=男性のシンボル
          パパのように立派なものが欲しい
          それを振り回し、ボールを穴に投げ入れ
          誰よりも凄いんだぞ!!
          と、憧れと誇示したい欲望
          高いところから排尿する=どれだけ遠くまで飛ばせるか?
          どれほど強い玉を投げられるか?
          どれだけ正確に的に当てられるか?
          これらを競い合う

          このように考えてみると
          スポーツは男性の憧れと誇示から生まれたのではないか?

          長いもの、高いものは男性のシンボル
          器、穴、へこみなどは女性の象徴とされる
          世の中にあるものは、ほとんど男女の象徴で溢れている

          男の子は高いところが好き
          長いものを持って振り回すのは
          「ボクは男だ!!」
          「ボクはこんなに立派なんだぞ!」
          誰よりも高く、誰よりも遠くへ、誰よりも早く
          誰よりもたくさん、穴を目指して投げ入れたい

          この欲望が様々なものを生み出すエネルゲンとなる
          男の子の欲望を育てよう
          その欲望が目指す先は、的=ゴール=穴
          だから
          男の子は洞穴探検が好き

          Φ シニフィアン研究所はこちら http://signifiant-lab.com/
          | 育児・子育て | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
          「知ること」と「味わうこと」
          0
             「知ること」と「味わうこと」は相反すること

            人は味わいつつ知ることをしていると思っているかもしれないが
            基本的には、二つは相反することであり
            同時には有り得ないことである

            美味しい料理を食べているとき
            人は無口になっている
            その後
            「美味い!」と語り
            「どうすればこんな料理が作れるのか」
            「自分でも作ってみたい」
            「レシピを知りたい」
            「材料は何を使い、どこのものだろう?」
            知りたいと思うかもしれない

            あるいは
            ゴチャゴチャ言わないで、静かに味わうのが良い
            と考えるかもしれない

            味わっている時は、語らない
            五官を使って、その感覚に酔いしれるだろう

            恋人同士がその代表だろう
            どんなに愛しているか、言葉では語れない
            ただ、こうして側にいたい
            言葉なんかいらない
            言葉で語ってしまうと、薄っぺらなものになってしまう
            まさしく
            言語のない世界に居る

            語ること、言語化することは
            この感情や感覚の世界から離れることでもある
            最中に居る時は、人は語れない
            そこから少しでも距離を置いた時に、語り始めるだろう

            「知ること」と「味わうこと」とは相容れないものである

            知りたい方は シニフィアン研究所のHPまで http://signifiant-lab.com/
            | 生き方 | 19:44 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
            「優しいね」と誉めたら「優しくなる」
            0
               「可愛いね」と語られた人は可愛くなってゆき
              「悪い子だ」と言われ続けた人は悪い子になってゆく
              「綺麗だね」と語られた人は綺麗になってゆく

              言う事を聞かないから、何とか従わせたいと思って
              「言うことを聞かない子だ、そんな子は嫌いだ」
              と何度も繰り返していると、ますます聞かなくなる

              良い子になって欲しいと願うなら「良い子ね」と誉めましょう
              優しい子になって欲しいと思うなら「優しいね」と声をかけよう
              可愛く育って欲しいなら「可愛いね」と言い続けよう

              なぜなら
              人は自分のことを、人から語られたイメージに合わせてゆくものだから
              これを「同一化」と呼ぶ
              特に大好きな人から語られ続けると、効果はより大きいものとなる
              子どもたちがヒーローやヒロインの真似をするのは、
              「かっこいい!」「ステキ!」と思って、
              まるで自分であるかのようにイメージしているのだから

              「ボクは○○だ!」
              「私は○○よ」
              と、その姿を真似る
              そして、「将来○○みたいになりたい」
              と語るようになる
              先取りして言わないで「なれたらいいね^^」と応援してあげましょう
              年齢と共に、なりたい(同一化する)対象は変わってゆきます


              子育て相談は シニフィアン研究所 むかいあいまで
               http://signifiant-lab.com/
              | 育児・子育て | 11:48 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
              整理整頓ができない
              0
                 かつてTVで「汚ギャル」と呼ばれる女性の部屋の紹介を見た記憶がある
                いわゆる
                「片付けられずに部屋の整理整頓ができない」状態
                理由はさまざま
                「邪魔クサイ」
                「面倒」
                「疲れる」etc

                整理整頓できないのはどうして?
                整理整頓する=自分に「必要なもの」と「必要でないもの」を分ける
                整理整頓する=不必要なものを『捨てる』こと

                この『捨てる』という言語に葛藤を持っている人だと言えよう
                なぜなら
                自分の身の回りに有るものは、かつて自分と何らかの関係があったものだから
                それは自分の一部であったもの
                それを捨てる=自分の一部を捨てる
                だから『捨てる』ことに葛藤がある

                この延長で考えると
                体や髪を洗う、排便排尿する=自分の一部を失うこと
                つまり、アカやフケや便や尿も自分の一部だったものとなる

                【もうこれ以上、何も失いたくない】
                と叫んでいる姿が見えてくる
                大切な何かを失い続けてきた可能性がある
                だから、他者から見て「ゴミ」「汚いもの」だとしても
                その人にとっては「愛着のあるもの=自分自身」となるのだ

                その人の欲しているものをたっぷり与えよう
                そうすれば、必ず不要なものは捨てるだろう
                だって、欲しいものが手に入ったのだから!

                整理整頓ができなくて困っている方
                お問い合わせは シニフィアン研究所までどうぞ 

                http://signifiant-lab.com/ むかい あい
                | 家族 | 09:24 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                好奇心の芽を摘まないで!
                0
                   
                  子どもは皆、好奇心のかたまり
                  それは、見るもの、聞くもの、触れるもの全てが初めてのものだから
                  「これな〜に?」
                  この問いかけが、好奇心を興味に変え、探究心へと導く

                  最初は「好奇心」
                  この芽を摘まないこと
                  周りの判断を入れないこと
                  「そんなこと言ってないで、早くこれしなさい」
                  「つまらないことしてないで、さあ行くわよ」
                  「そんな汚いもの、触っちゃダメ」
                  などと、子どもの好奇心を否定しないこと

                  ダンゴムシも鳥の糞も、ありんこも、みんなみんな友達
                  泥んこになって、ビショビショになって
                  それをお母さんと共有したくて
                  「ママ、これ見て!」と振り向き、駆けて来るのだから

                  子どもは、みんな探検家で、冒険家で、研究者で、芸術家で天才!
                  大人がその芽を全部、摘んでしまう
                  親の都合で
                  躾の名の元に
                  社会で生きやすくするために

                  生きるエネルギーは、子どもの頃の好奇心から培われる
                  好奇心を探究心へ導くものは
                  「なぜ?」
                  「どうして?」
                  「知りたい」
                  そして、それを見守る母のまなざしと承認と賞賛の声

                  世界は無限に広がり、生きるエネルギーを湧き上がらせるのは
                  好奇心の芽を摘まないことから
                  興味の芽を摘まないことから始まる

                  子育て相談は
                  シニフィアン研究所までどうぞ  
                  | 育児・子育て | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                  意欲を持つにはどうしたらよいか?
                  0
                     意欲とは、何かを進んでやろうとする気持ちと辞書にはある
                    やる気と置き換えてもよい
                    意欲がない、やる気が出ないとはどういうことだろう?
                    意欲を持つにはどうしたらよいのか?

                    意欲を「欲望する気持ち」と考えてみる
                    欲望するには、欲望する対象が必要
                    その対象に向かって進んで行こうとしている状態を「意欲がある」と人は言う

                    つまり、意欲がある人は
                    1)向かって進もうとする対象がある=対象がはっきりしている=言語化できる
                    2)対象がはっきりすると、そのために必要なエネルギーは湧いてくる
                    3)それに向かって、どのようにすればよいかを考え、実行する
                    簡単にいうと、このようになる

                    まず、最初に向かってゆく対象がはっきり言語化できることである。
                    そうすれば、焦点が定まるから、そこに向かって集中してエネルギーを注げる。
                    意欲がない人は、エネルギーがないのではなく
                    向かってゆく対象がはっきり決めれらないからだと言える

                    では、その対象はどうすれば決められるのか?

                    『欠如を知ること』『不足していると認識すること』
                    無いから欲しいと思う
                    足りないから、もっと欲しいと求める
                    「無い」「不足してる」と知ることは「有る」「足りている」を知ることでもある
                    「有る」ことを知っているから「無い」と分かる
                    「足りている」を知っているから「不足している」と分かるのである

                    このように考えてみると
                    意欲を持つには『満足』を知ることと言えるだろう
                    それと比べてみることで、不足を知る、無いことを知る
                    そこから『□□が欲しい』と欲望する
                    「欲しい」と思えることは、もうすでにエネルギーが湧いてきている証拠である
                    それを中心に、もっともっととチャージすればよい

                    質問・お問い合わせは シニフィアン研究所まで http://signifiant-lab.com/
                    | 育児・子育て | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                    運が良くなる方法
                    0
                       
                      よく人は「運が良い」とか「運が悪い」と言う
                      どういうことだろう?
                      生まれつき運が悪い人はいないはずだ
                      そう思いたいし、信じたいものだ
                      運が悪いと思うのは
                      その人にとって都合の悪いことに出会うということ
                      そして、その結果に対して原因が分からないこと
                      意識においては原因が分からなくても
                      無意識では必然だとしたらどうだろうか?
                      自分にとって、都合の悪いことに出会ったとき
                      それは、かつて自分が嫌な事だとして、自分の中から排除したもの
                      それが、何かのきっかけで回帰してきたものだと考えられないだろうか?
                      「出会う嫌な事は、すべて自分です
                      あの嫌いな人も自分であり
                      この嫌なことも、かつて向き合わずに投げ出したものである
                      これも、それも、あれも、すべて私です」
                      と思えたなら、きっと何かが変わるだろう
                      このような観点から、出会っている不都合な事に向き合ってみたら
                      きっと運が良くなったと思えるだろう!

                      お問い合わせは シニフィアン研究所まで http://signifiant-lab.com/
                      | 生き方 | 15:14 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                      違いが分かる
                      0
                         
                        違いが分かる
                        変化が分かる
                        遠い昔のCMを思い浮かべた人がいるかもしれない
                        簡単なようで、実は簡単でもないこと
                        違いが分かるとはどういうことか?
                        違いがあるという認識は、比較しているから
                        ということは、違いが分かるというのは
                        比較参照項があるということでもある
                        Aというものが基準となって、他と比べて「Aとは違う」と認識する
                        つまり、違いが分かるには、最低2つが必要だということになる
                        違いが分かる人は、変化にも敏感となる
                        「前と比べて違っている所がある」と認識している
                        味に鈍感な人は「美味しいもの」を食べたことがない
                        匂いに鈍感な人は「好い匂い」を嗅いだことがない
                        皮膚感覚が鈍磨している人は「心地よい触れ合い」がなかった
                        音に鈍感な人は「心地よい声」に出会ったことがない
                        そう言えるかもしれない
                        経験の量には比例しない
                        どれだけ気持ちいい、どれだけ好きな体験をしているか質の問題となる
                        なぜなら
                        好きなもの(快)は取り入れ、嫌いなもの(不快)は排除しようとするものだから
                        だとしたら
                        人はどれだけ好きな快を経験したか=違いが分かる
                        と言えると思う
                        好きなこと、心地よいことをしよう!!
                        そうすれば「違いの分かる人」となるだろう

                        シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
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