≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法を研究、実践中です。
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    299)引きこもりと自己奪還
    0
      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
      精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                 
      今日は、「引きこもりと自己奪還」 について書きたいと思います。

      「母性剥奪」という言葉がありますが、
      「自己剥奪」され、人間でないものにされてしまった人が、
      自分というものを取り戻すことを『自己奪還』と呼んでみました。
      ここでいう「自己剥奪」とは
      自らの意志と考えによって言動することを根こそぎ奪われている状態のことをいいます。
      「自己奪還」とは、自らの意志と考えに基づいた言動を取り戻すことです。
      それは≪私は人間だとの自己規定≫でもあると思います。

      自己奪還のためには、まず「引きこもること」が必要であることを書きたいと思います。
      「奪還」という言葉は「剥奪」に対して用います。
      つまり、根こそぎ奪われているから奪い返すという意味です。
      奪還という言葉を使うに至ったのは
      日々の精神分析という面談の中で、クライアントの叫びとして聞こえてくるからです。
      非行や引きこもり、不登校、いじめ、うつなど子どもから大人に至るまで
      ≪私は人間だ≫との切実な叫びを痛感しています。

      ある引きこもりになった男性(以下Sさんと呼ぶ)の言葉を紹介したいと思います(本人の了解済)。

      自分は今まで、親をはじめとする周りの人たちの姿や言葉に従ってきた。
      そして、それに対して何の疑問も抱いていなかった。
      ところが、あるきっかけから引きこもり、気付いたことがある。
      今まで自分の考えや意志がなく、周りに用意されていたことに従っていただけだった。
      引きこもりと言われるようになって初めて、
      自分というものが無かったことに気が付いた。
      何も語れない自分を知った。

      そして、今、自分が何を考え、何を求めているのか、いないのかを見つめている。
      そんな暇さえ持っていなかったことに驚いている。
      初めて迷っている。初めて真剣に悩んでいる。考えている。

      このようにSさんは語りました。
      Sさんは引きこもったことにより、周りに用意されている事柄に対して受身であったことに気付いたというのです。
      例えば、学校や習い事、就職、仕事などに対しても
      自らの意志で積極的に関わってこなかったことに気づいたのです。

      Sさんは、引きこもることによって、その機会を得ることができた。
      否、このままでいいのか、との無意識からの強いメッセージにより
      引きこもりという状態になった、とも考えられるのではないでしょうか。
      こうして考えてみると
      引きこもることは、知らないうちに自らの意志と思考を剥奪された自己を奪還するための一つの方法ではないかと思うのです。

      ここではSさんの言葉を中心に書きましたが、
      引きこもることは、自己剥奪された人が自己奪還への叫びの行動化の一つだと思えてくるのです。
      つまり
      人間でないものにされてしまった人が、≪私は人間だ≫と叫んでいる姿のように感じるのです。
      人間であるとは、言語で語れることの意味で使っています。
      分析家はその語らいを聴いています。
      受身から能動への転換、
      それが自分らしく生きていくことでもあるのではないでしょうか。

      シニフィアン研究所のHPはこちらです。http://signifiant-lab.com/
      「不登校の子どもの母より」サイトhttp://signifiant-lab.com/escape/
      「思春期の悩み」サイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/も参照ください。

      | 不登校・引きこもり | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
      298)ハングリー精神と欲望
      0
        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
        精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                   
        今日は、「ハングリーと欲望」 について書きたいと思います。

        かの有名なスティーブ・ジョブスもスタンフォード大学の卒業式で、
        「ホール・アース・カタログ」から引用して言いました。
        ≪ハングリーであれ。愚か者であれ。≫と。(http://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4参照)
        この「ハングリー」な精神が欲望を生み出すことを書きたいと思います。

        「ハングリー精神」の言葉を耳にしたことがあると思います。
        特に、物質的に満たされた時代に生きていると、失われがちだと言われます。
        ハングリーな精神はどのような時に湧き上がってくるのでしょうか。
        例えば、
        満たされていない、足りないと思った時でしょう。
        ということは、
        満たされている、足りている状態を知っていることになります。
        過去の自分と比べたり、他者と比べたりしていることになります。
        つまり、
        「ハングリー」であることを意識するためには
        満たされた状態を知っていることが必要です。
        それと比較して、自分はハングリーであると自覚できるのです。

        自分がハングリーであるからこそ、満たされたいとの欲望が湧いてくる。
        空腹だからこそ、満腹感を味わいたいと欲望するのです。
        ハングリー精神は欲望を湧き上がらせる原動力だと考えられます。
        欲望は人を行動へと駆り立てることでしょう。
        そして、模索や興味、好奇心や探究心を呼び起こすことでしょう。

        このように考えてくると
        人が行動するには、好奇心や探究心が必要であり、
        好奇心や探究心は欲望が動因となり、
        欲望はハングリー精神から湧き上がり、
        ハングリー精神は、満足の状態を必要とする、
        と考えられます。

        ちょっと先まで進んでしまいましたが、
        ここでは、ハングリー精神は欲望を生み出すことを書きたかったのです。
        ハングリーであることは、人を何らかの行動へと繋いでゆくために必須だと言える。
        だからこそ、決して満足しないこと。
        それは逆に、常に比較参照項として満足を必要とすることだとも言えるでしょう。

        満足を知っていますか?
        ハングリーですか?
        欲望を知っていますか?
        あきらめていませんか?

        これらの問いかけを持ったなら
        シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
        勉強会、講座もあります。http://signifiant-lab.com/#10
        やさしい精神分析講座 http://signifiant-lab.com/#11

        | 生き方 | 15:26 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
        297)あやつり人形=マリオネット
        0
          シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
          精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                     
          今日は、「あやつり人形=マリオネット」 について書きたいと思います。

          親は子どもを「あやつり人形=マリオネット」にしてしまっている。
          親自身が無意識のうちに。
          この可能性があることを考えてみたいと思います。

          なぜ「あやつり人形」にしてしまうのでしょう。
          それは、育児は親と、親自身の親との関係が再現される場だから。
          つまり、
          自らが子ども時代に、親からされた(してもらった)こと、されなかった(いてもらえなかった)ことを
          わが子との間で再現しまう可能性が大きいということです。
          ここから
          虐待された親は、わが子を虐待する。
          放任された親は、わが子を放任する。
          逆になると
          わが子を過保護にしたり、過干渉になったりする。

          どちらにしても
          親は自分の子ども時代を基本にして、
          わが子に自分の想いを託そうとする可能性が大きいと考えられます。
          それが「あなたのためを思って・・・・・」の言葉になるのでしょう。
          子どもが自分の思い通りになったなら、「自慢の子」となり、
          思い通りにならなかったなら、虐待や放任、放置の対象となりやすい。

          このようにして、親の思う通りになる子が、『親のあやつり人形』となるのです。
          そのような子どもは
          親の期待を一身に受け、親が描く理想の姿になるように急き立てられます。
          子どもも、親の喜ぶ顔が見たいと思い、必死で頑張ります。
          応え続けている限り、親はすべてを犠牲にします。
          もし、あやつり人形であることを止めようとしたなら、
          それは一気に見捨てられるか、虐待が待っています。

          こうして『あやつり人形=マリオネット』が創り上げられてゆくのです。
          親は、愛情だと考えています。
          なぜなら、親は自分を犠牲にしてまで尽くしているからです。
          では、子どもはどうでしょうか?
          あるクライアント(あやつり人形だった)が言いました。
          『それは暴力だった』と。

          この関係には、子どもの主体性は育ちません。
          主体性は親によって、根こそぎ奪われている(=母性剥奪)からです。
          まさしく『あやつり人形』にされ、人間でないものにされていると言っても過言ではないでしょう。
          あやつり人形に主体性も意志もありません。
          ただ、あやつられるだけです。
          その結果、賞賛や拍手喝采を浴びることもあるでしょう。
          それは誰の喜びでしょう?
          はたして、人形の喜びだと言えるでしょか?
          あやつる人の喜びではないでしょうか。

          知らない間に、子どもを『あやつり人形=マリオネット』にしていませんか?
          子どもの主体性を奪っていませんか?
          それを知る方法があります。

          興味を持たれた方は、シニフィアン研究所まで
          http://signifiant-lab.com/お問い合わせください。
          オールOK子育て相談もしています。http://signifiant-lab.com/raise/

          | 育児・子育て | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
          296)バラバラになる不安と恐怖
          0
            シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
            精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                       
            今日は、「バラバラになる不安と恐怖」 について書きたいと思います。

            何かが一つにまとまらない状態を「バラバラ」と言います。
            辞書の中にも
            『一体であるべきものが離れ離れになったり、統一されていなかったりするさま』
            とあります。
            この中の『一体であるべきもの』というフレーズに注目したいと思います。
            何を言いたいかというと
            『一体』の前提として『バラバラ』があるということです。

            これを『私』に置き換えて考えてみましょう。
            ここで、ラカンの『鏡像段階論』を思い浮かべてください。
            私というまとまりを持った存在は、
            「他者」という鏡(像&語り)によって構成されることを思い出していただけたでしょうか。

            ここから考えると逆に
            『私』という存在は『バラバラ』を前提としているという視点です。
            つまり
            『私』というまとまりは、常に『バラバラ』になるかもしれない不安や恐れを持っている、
            そのように考えられるということです。
            『私』は間違いなく、一人の存在であることを確認せずにはいられない。
            それがなくなると『バラバラ』になるかもしれない。
            そんな不安や恐れから
            人は鏡に自分の姿を映さずにはいられない。

            それが、例えば
            常に鏡を携帯し、取り出して眺める
            歩きながらショーウィンドーに映った自分の姿をチェックする
            誰かに自分のことを注目してもらいたがる
            自分のことを聞きたがる
            人の目が気になるetc
            このような行為へと人を駆り立てるのではないでしょうか。

            この観点から、バラバラ殺人なども
            自分がバラバラであることの行為化では?
            とも考えられると思うのです。

            長くなりましたが、
            人は自分がバラバラになるかもしれない不安と恐れを抱いている、
            だからこそ、自分を確認せずにはいられない、
            その不安と恐怖から逃れるために鏡を必要とする、
            『バラバラ』は『一体』とまさしく表裏一体であるとの観点から考えてみました。

            ご意見、ご質問はシニフィアン研究所までどうぞ
            http://signifiant-lab.com/
            精神世界を「精神分析理論」で知る講座もあります。
            要請があればどこへでも出張しています。

            | 生き方 | 10:45 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
            295)オールOKは自他共に生かす(活かす)
            0
              シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
              精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                         
              今日は、「オールOKは自他共に生かす(活かす)」 について書きたいと思います。

              自分という存在は他者の基で(鏡像体験を通して)構成されると書いてきました。
              つまり「鏡像=自分自身」とも言えます。
              これを、母子関係で考えてみましょう。
              母の姿=自分の姿=理想の自画像=好き
              となるのは、
              いつも母がオールOKしてくれたからではないでしょうか。

              違う表現をすると
              母がいつもオールOKしてくれる=母に受け入れられている(受容)=母に認めてもらえている(承認)
              =必要とされている=愛されている=存在して良い自分=自己肯定=自分が好き
              このような等式が成り立つのではないでしょうか。
              自分が好きと思えるのは、オールOKしてくれる他者(鏡)が常に側に居たから、
              自分を受容し、承認してもらう体験があったから、
              このように考えられます。

              これをどんどん広げていくと
              オールOKすることは、自己肯定し、生きる意味を見出すことに繋がることでしょう。
              そして『他者=自分自身』という鏡像関係から言うと
              自己肯定=他者肯定
              自己受容=他者受容
              自己承認=他者承認
              自己も他者も共に生きるに値する存在である。
              このようになることでしょう。

              以上から、
              「オールOKすることは、自己も他者も共に生かす(活かす)ことに繋がる」
              と言えるのではないでしょうか。

              ここでは母子関係として考えてみましたが、
              あらゆる関係に広げられることは言うまでもないことでしょう。
              オールOKは年齢、性別などに関係なく、すべてを生かす(活かす)方法なのです。

              具体的な方法についてはこちらまでどうぞhttp://signifiant-lab.com/
              子育て法はこちらのサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/
              思春期はこちらのサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
              異性、夫婦関係はこちらのサイトhttp://signifiant-lab.com/woman/を参照ください。

              | 育児・子育て | 11:12 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
              294)否定・拒絶・無視=自分がなくなる
              0
                シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                           
                今日は、「否定・拒絶・無視=自分がなくなる」 について書きたいと思います。

                《291)自分が壊れてしまう不安や恐怖ーまとまりを持った自分の解体》で、
                自分という存在は他者によって構成されると書きました。
                そのためには、鏡像体験が必須だとも書きました。
                ここでは、
                鏡像体験によって構成された「自分」という存在がなくなるのは、一体どういう時かを考えてみます。
                結論から言うと
                『否定・拒絶・無視』に出会った時だと言いたいと思います。

                うつや不登校や引きこもりなどをはじめとして、
                立ち止まってしまって動けなくなった時、
                ほぼ共通して口にする言葉があります。
                それは≪どうせ・・・≫です。
                この言葉は、あきらめの気持ちや無力感から出る言葉です。
                つまり、立ち止まり、そこから前へ進めない情態を表します。

                このような情態はどうして起きたのでしょうか。
                それは何らかの「否定」「拒絶」「無視」などに出会ったと感じているからではないでしょうか。
                中でも、
                自分が心を寄せている対象(人、場所、もの)からそのように扱われた場合、
                一気に自分の存在が無化されたと感じることでしょう。
                これらは、自分の存在価値を見出している対象=自分自身=鏡像体験
                このように感じている証拠でもあります。
                ここから
                「対象にとって自分は存在価値がない」と思った瞬間、
                この時、自分自身が消滅した瞬間だと言えるでしょう。

                つまり、うつや不登校、引きこもりなどは、
                心を寄せている対象からの『否定・拒絶・無視』に出会った、
                あるいは、それらの蓄積があった可能性が考えられます。

                社会の中で、これらに出会うことは避けられないことでもあります。
                だとするならら、
                家庭内では、これらの反対
                つまり、『肯定(オールOK)』が満ち溢れている環境が非常に大切になってきます。
                社会では『否定・拒絶・無視』が溢れていても
                家庭内では『肯定(オールOK)』が溢れていたなら
                人は安らぎと癒しに包まれ、エネルギーを回復する。
                つまり
                ≪自分という存在の回復≫
                このように言えると思うのです。

                家庭内が安らぎと癒しの場所=安心と安全の場所
                それが基本となるでしょう。
                それがもし、なかったなら
                家庭外に求めるしかありません。
                だから徘徊し、たむろし、刹那の居場所を見出そうとするのでしょう。
                人は自分の居場所なくして生きられない存在なのです。

                セラピールームはその居場所(安心と安全の場)でもあります。
                シニフィアン研究所にもあります。
                居場所が欲しいと思った時はHPをご覧ください。http://signifiant-lab.com/

                | 不登校・引きこもり | 09:37 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                293)鏡像体験=一人の私
                0
                  シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                  精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                             
                  今日は、「鏡像体験=一人の私」 について書きたいと思います。

                  鏡像体験をするには、まず核が必要であり、
                  その核は、ただ一人の人(以下母と呼びます)がつくると書きました。
                  もう少し、具体的に書きたいと思います。

                  母が常に側にいて、子どもに語りかける環境、
                  ただ母の想いで語るのではなく、
                  その場その場に合った、適切な言葉で語りかけることが大切です。
                  たとえば
                  ・美味しいものを食べた時ー「おいしいね」
                  ・嬉しいことがあった時ー「うれしいね」
                  ・転んで痛かった時ー「痛かったね」
                  ・悔しくて泣いていたらー「くやしいね」
                  いかがでしょうか。

                  難しいことではないですよね。

                  あるお母さんが次のような話をしてくれました。
                  10代の娘さんから
                  「お母さん、私の話をちゃんと聞いて。いつも私が答える前に、決めつけている。
                  勝手に先に進まないでよ」と言われたそうです。

                  そう言われて、ハッと気付いたそうです。
                  確かに、娘の言うように、きちんと話を聞いていなかったと。

                  このようなことは、案外多いのではないでしょうか。
                  なぜなら、お母さんは忙しいからです。
                  子どもの前に居て、話をしていても、次のことを考えているから。
                  体は子どもの前にありながら、
                  心はすでに違う所に居る。
                  それに一番気付いているのは、子どもであり、
                  一番気付いていないのは、お母さん。

                  体も心も共に向き合っていること。
                  これが会話(対話)の基本です。
                  このような会話になっていない時に、
                  子どもはしつこく言ったり、ぐずったり、駄々をこねたりして
                  向き合っていないことを教えてくれているのではないでしょうか。

                  子どもはいつも母を観ています。
                  母の心を五感で感じ取っているのです。
                  子どもからのメッセージを受け取り、応えることが、鏡像体験であり、
                  その体験が「母に愛される私」という「一人の私」を創り上げる核となるのです。

                  それが≪オールOKで育てる≫ことでもあるのです。

                  「オールOK子育て法」はこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/
                  質問・問い合わせはシニフィアン研究所のHPへどうぞhttp://signifiant-lab.com/

                  | 育児・子育て | 12:31 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                  292)まとまりのある身体イメージを持つために
                  0
                    シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                    精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                               
                    今日は、「まとまりのある身体イメージを持つために」 について書きたいと思います。

                    前回の続きです。
                    バラバラの身体イメージをまとめあげるには『鏡像段階』と呼ばれる体験が必要だと書きました。
                    では、具体的にどうすればよいのか?
                    それについて書きたいと思います。
                    (ここでは、ラカンのいう『鏡像段階』の体験をするという意味で『鏡像体験』と呼びます)

                    鏡像体験とは、文字通り「鏡に映った姿を自分だと認める体験」のことです。
                    私たちは鏡に映った姿を自分だと信じていることでしょう。
                    そのように、鏡に映った姿だけでなく、
                    自分について他者が語った言葉を通して、自分のイメージを創り上げているといわれます。
                    例えば
                    「優しい人ね」
                    「おとなしいね」
                    「明るい人ね」
                    「早口だね」
                    「口うるさい人だ」
                    「おっちょこちょいだ」etc
                    様々な語らいが、鏡の役割をすると考える観点です。

                    そのような自分についての語らいを総合して、
                    自分のイメージを創り上げてゆくようです。
                    それらをどのように取り入れたか、
                    反対に取り入れなかったかは、人によってさまざまです。
                    それは、精神分析の中では一つの重要なものとなります。

                    とまれ、自分というまとまりを持ったイメージは、
                    他者の語らいという鏡によって創り上げられるということです。
                    それには一つ重要なことがあります。
                    それは、
                    ≪ただ一人の人が、一貫性を持って語り続ける環境≫です。
                    なぜなら、複数の人が鏡となったなら
                    複数の語らい(自分について持つイメージ)が出てくるからです。
                    複数の語らいがあるということは、
                    自分についてのイメージが一つにまとまらないということです。

                    まとめあげるには、その核(中心)となるものが必要です。
                    その核(中心)となるのが、「ただ一つの鏡(ただ一人の人)」です。
                    その鏡の像が核となって、それに追加、変更をしながら創り上げてゆくのです。

                    このようにして、長い時間をかけて
                    『自分というまとまりのある身体イメージ(「肉体」ではなく、「身体」)を持つに至る』と言われています。
                    その最初の核(中心)をつくるのがラカンの言う≪鏡像段階≫であり、
                    その体験が『鏡像体験』なのです。
                    ここで一番重要なことは、最初の核(中心)です。
                    その核をつくるためには、
                    ≪ただ一人の人が、一貫性を持って語り続ける環境が必須≫なのです。
                    このただ一人の人には、生母その人であることが望ましいことは言うまでもないでしょう。

                    鏡像段階、鏡像体験について興味を持たれた方は
                    シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
                    各種教室、講座も開催しています。http://signifiant-lab.com/raise/

                    | 育児・子育て | 09:43 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                    291)自分が壊れてしまう不安や恐怖ーまとまりを持った自分の解体
                    0
                      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                      精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                                 
                      今日は、「自分が壊れてしまう恐怖」 について書きたいと思います。

                      日々、様々なクライアントと対話していて、気付いたことがあります。
                      それは『自分が壊れてしまうかもしれない不安や恐怖』です。
                      その不安や恐怖を安心に変えるためには、鏡像体験が必要であることを書きたいと思います。

                      「自分が分からない」
                      「自分がなくなってしまう」
                      「自分がバラバラになりそうだ」
                      「音を立てて崩れてしまいそうだ」

                      このように語るとき、
                      『まとまりを持った一人の自分』のイメージ(像)がバラバラになると感じている瞬間ではないでしょうか。
                      もっというと、まさしく
                      『自分が解体するかもしれない不安と恐怖』に直面している瞬間だと思うのです。
                      そして、
                      常にすべての人間に忍び寄っているといっても過言ではないように思えてきます。

                      人は、自分の思い通りに事が進まなかった時、
                      ふと立ち止まった時、
                      不安や恐怖が襲いかかってくる。
                      それは、自分がバラバラに壊れるかもしれない不安や恐怖と考えられないでしょうか。
                      そんな時、自分の姿を映してくれる鏡が欲しいとの衝動に駆られる。

                      それが例えば
                      人恋しくなったり、
                      誰かに電話やメール、話をしたくなったりする、
                      抱きしめてもらいたいと思う。
                      もし、そんな人が誰も居なかったなら
                      自分で自分を感じるしかない。
                      この観点から考えると
                      「自傷(リストカット)」「抜毛」「かきむしる」「暴れる」「叫ぶ」などは
                      自分を取り戻すための一つの表現方法だと思うのです。

                      あてもなく誰かにメールや電話をしないと居られない、
                      あてもなくさまよい歩くのも、その一つかもしれません。
                      誰かに、自分の姿を映してほしい。
                      解体してしまいそうな自分を、一つにまとめてほしい。
                      そんな必死の叫びのように観えてくる気がするのです。

                      思春期には特にそのような危機が訪れる時期だと言われています。
                      その時期までに、統一した自分というイメージ(鏡像)を持っているかどうか、
                      それを一番問われるのが、思春期なのです。
                      その時期を乗り切るためにも
                      幼少期から「まとまりを持った自分」という鏡像体験をする必要があるでしょう。

                      ここでは、バラバラになりそうな不安や恐怖は、誰にでもあること、
                      その不安や恐怖は、いつでも襲ってくる可能性があること、
                      そのような時には、一つにまとめあげる鏡が必要であること、
                      それを、フランスの精神分析医ジャック・ラカンは
                      『鏡像段階』と呼びました。

                      その鏡の役割をするのが≪精神分析家≫であり、その鏡像体験が精神分析(セラピー)なのです。

                      シニフィアン研究所ではそれらの理論に基づいた精神分析(対話療法)をしています。
                      詳しくはHPをご覧ください。
                      性癖、恋愛・夫婦問題の相談も受けています。
                      シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/
                      非行、引きこもり、暴力など「思春期の悩み」のサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
                      「不登校の子どもの母より」のサイトhttp://signifiant-lab.com/escape/

                      | 生き方 | 11:24 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                      290)夢を持つことと実行すること
                      0
                        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                        精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                                   
                        今日は、「夢を持つことと実行すること」 について書きたいと思います。

                        前回「夢を持つこと」について書きましたが、
                        「子どもが夢を言うだけで、ちっともやろうとしないのですが、それでもいいのですか」
                        という質問がありましたので、このタイトルにしました。

                        なるほど、よくあることです。
                        子どもに限らず、「言うけど、実行しない」大人がいるのも事実のようです。
                        夢は語るのに、実行しようとしないのはどうしてでしょう。
                        一つには、単なる興味だけに留まっているから?
                        あるいは、ただ言ってみただけ?

                        特に子どもは、興味を持った場合、たいていは「やってみたい、欲しい」と言います。
                        そして、そんな「やってみたい、欲しい」は次々と出てきます。
                        ですが、なかなか続きません。
                        すぐに次の興味の対象に移ったりします。
                        親はそんな子どもの態度にイライラしてしまいます。
                        親からすれば当然です。

                        そんな子どもの興味に、まずは付き合ってあげましょう。
                        習い事なら、一度体験させましょう。
                        欲しいものなら与えてあげましょう。

                        ちょっと無駄なように思いますが、
                        その「無駄」が大切なのです。
                        大人でも、やってみないと解らないものがあるでしょう。
                        子どもはそれがとっても多いのです。
                        何しろ、まだ大人よりも体験が圧倒的に少ないのですから。

                        その無駄な経験が、徐々に、やらなくても想像できるようになってくるのです。
                        その無駄な体験をする機会をたくさん与えてあげることが、
                        必要なこと(もの)しか要求しない子どもを育てるのです。
                        数回するうちに、本当にしたいこと、欲しいものが限定されてきます。
                        せいぜい、2つか3つくらいのものに集約するでしょう。

                        「言うけど実行しない」のは、本当にやりたいことではないからです。
                        ですから、夢を語った時、
                        ただ「なれたないいねえ」「できたらいいねえ」とだけ答えてあげればいいのです。

                        本当にやりたいこと、好きなことは、自分からやりはじめます。
                        そして、かならず継続するようになります。
                        そのこと(もの)に出会うまでは、言うだけで実行しなかったり、
                        数回試してすぐに止めます。
                        それは「飽きっぽい」のではなく、
                        やりたいこと(もの)に出会っていないからでしょう。

                        これらに出会うまで、根気よく見守り、応え続ける大人側の忍耐が要求されます。
                        それができない場合、自らの根気と待てなさを隠すために
                        大人たちは、ややもすると
                        「言うだけで、ちっともやらない」
                        「根気がない」
                        「飽きっぽい」などと決めつけてしまうのではないでしょうか?

                        親になり、親である続けることは凄くエネルギーが要ることです。
                        根気が要ります。
                        忍耐が要ります。

                        そんな親であり続けるための講座・教室もあります。
                        シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
                        「オールOK子育て法」は年齢は関係ありません。http://signifiant-lab.com/raise/

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