≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法を研究、実践中です。
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    310)木村荘八―大震災と下町の風景
    0
      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
      精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                 
      今日は、「木村荘八―大震災と下町の風景―生きる意味 について書きたいと思います。

      11月20日放送の「開運なんでも鑑定団」で木村荘八21歳の油絵が紹介され、
      その時の鑑定士永井龍之介氏が木村荘八について語ったことが耳に止まりました。
      それは
      「木村荘八は1923年の関東大震災後、二度と戻らない下町の風景を描くようになった」
      という内容です。
      木村荘八(以下荘八と呼ぶ)と下町の風景の関係を通して、『生きる意味』を考えてみたいと思います。

      荘八にとって東京の下町の風景は、生まれ育った馴染みの風景であり、
      関東大震災により失われ、二度と戻らない風景となってしまった。
      それまでは、特別な思い入れがあったとの認識はなかったかもしれない風景。
      それが完全に失われ、二度と見ることができないものとなってしまった。
      どんなに復興しても、元の下町は二度と見られない。
      それゆえ、絵や文字で表現するしかない風景となってしまった。
      つまり
      『失ってしまったがゆえに、欲望する対象となった』
      荘八は絵や文字を描くという行為によって、再現する対象となった。
      それが荘八にとって絵や随筆を描く意味=洋画家、随筆家、版画家として生きる意味となった

      荘八にとって生きる意味とは、失われた下町の風景の再現であり、
      それは元の下町ではないがゆえに、永遠に尽きることのない欲望の対象となった。

      この荘八のように、『永遠に失ってしまったもの』があるからこそ
      それをもう一度取り戻したいと欲望する。
      その欲望を持つことが、その人にとっての生きる意味となるのではないでしょうか。

      生きる意味がないと思っている人、
      見つからないと考えている人、
      生き方に迷っている人、
      誰にも必ず『永遠に失ってしまったもの』があるはずです。
      それを探しませんか。
      そこにあなたの生きる意味を見い出せるかもしれません。

      興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
      精神分析という対話療法で『永遠に失ったもの』を知ることが可能です。
      「私と精神分析」もご覧ください。http://agency-inc.com/analysis6/

      | 生き方 | 17:00 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
      309)社会参入する=家庭を出る
      0

         

        | 不登校・引きこもり | 14:04 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
        308)寄り添うことは聴く(知る)ことでもある
        0

          シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
          精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                     
          今日は、「寄り添うことは聴くことでもある について書きたいと思います。

          175)寄り添うとは? でも書きましたが、
          今回は、寄り添うとは、まず相手の言うことを聴く(知る)ことだと言いたいと思います。

          寄り添うためには、まず、相手が居る場所を知る必要があります。
          相手が居る場所とは、
          「何に関心をもっているのか」
          「何について考えているのか」
          「どのように感じているのか」などの意味です。

          知るためには、相手に質問する(聞く)ことです。
          ここで注意することがあります。
          それは決して自分の想像で考えないことです。
          例えば
          「きっとこのように考えているに違いない」
          「あれはこのように言いたいのだろう」と想像しないことです。
          これは
          『勝手な思い込み』となる可能性があるからです。

          ここで、「寄り添う」ということを理解するために、たとえ話をしましょう。
          あなたの家に初めて訪ねてくる人(Yさん)に、道案内(徒歩で)します。
          今、Yさんが最寄りの駅に着いたと電話がありました。
          駅からあなたの家まで電話で、「Yさんに寄り添った」道案内をしましょう。

          さあ、Yさんが間違わないように進むための道案内をしてください。
          まず最初、どのような言葉をかけますか?

          よくありがちな言葉は
          「〇〇という建物(目印になるもの)があるので、そちらに歩いてください」
          「〇〇という建物が見えますか?」etc

          これらの案内は、Yさんとあなたの間に距離を感じる表現ではないでしょうか。
          だとしたら、寄り添った案内だとは言い難いでしょう。
          ここで、寄り添った道案内と思う一例を紹介します。

          『Yさんの目の前には何が見えますか?』

          このような質問(聞く)はいかがでしょう。
          Yさんの目に映ったものを聞き、その中からあなたが思っているものを名指しする。
          そうすれば、確実にYさんは目当てのものを選択できるでしょう。
          つまり、
          常にYさんが主導になり、あなたはYさんの言葉に付いてゆく。
          そうすると、道案内しているあなたも、Yさんが今どこを歩いているかが目に浮かぶことでしょう。
          Yさんもあなたが一緒に付いて来てくれていると感じ、
          安心して目に映る景色を伝えてくれることでしょう。
          このようにすれば、
          あなたもYさんも互いに安心して、出会える瞬間を待てるのではないでしょうか。

          少し長くなりましたが、
          『寄り添うことは聴く(知る)ことでもある』ことが理解できたでしょうか。
          寄り添うことは、相手主導で進めること。
          自分の想いは白紙にし、相手の言葉をよく聞くこと(聴く)。
          疑問に思ったら(迷ったら)、相手に質問すること。
          このように言えるのではないでしょうか?
          これらの方法は『オールOKすること』にも繋がります。

          具体的な質問の仕方対応の仕方などの教室、講座をしています。
          詳しくはシニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
          オールOK子育て法はこちらです。http://signifiant-lab.com/raise/

          | 育児・子育て | 13:58 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
          307)認められて自信が持てる
          0
            シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
            精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                       
            今日は、「認められて自信が持てる について書きたいと思います。

            「自分に自信がない」「自信が持てない」という人が居ます。
            それは、認められた体験が少ないからではないでしょうか。
            なぜなら、人は他者に承認されて初めて、自認できるからです。

            例えば、
            「自分は〇〇と思う。でもこれで合っているのだろうか?間違っていないだろうか?」
            このような考えが湧き上がってきた(不安になった)時、
            誰かに確かめたくなる、そして間違っていないと認められたらホッとする。
            「これでこれでいいんだ。間違っていなかったんだ。」
            と安心することでしょう。

            このような不安は、すべての人が持っていると言われます。
            鏡に映った姿を自分だと思えるのと同じです。
            『これが〇〇ちゃんよ』と、誰かから言ってもらったことがあるから、
            鏡に映った姿を間違いなく自分だと信じている(自認or自信)のです。
            つまり、
            自分以外の誰か(他者)から認められることによって、自認できるのです。
            逆に言えば、
            自認するためには、他者の承認を必要とすると言えるでしょう。
            他者から承認されることによって自信を持つことにもつながるのです。

            自分でどんなに『間違いない』と思っていても
            他者の承認がないとそれが確定しない、安心できないのではないでしょうか。
            だから他者の存在が気になるし、
            他者の目が気になり、
            他者の評価が気になるのでしょう。

            「自分に自信を持てない人」
            「他者の目や評価が気になる人」
            それは、人間であるがゆえ他者からの承認を必要とする。
            にもかかわらず、他者から承認と賞賛を受けた体験が少ないからといえるのではないでしょうか。

            その誰かとは
            自分が信頼を寄せる人であり、ただ一人の人である必要があるでしょう。

            ここからも、『オールOKすることの必要性と大切さ』が理解できるのではないでしょうか。
            ≪この人だけは自分を承認してくれる≫
            このように思える体験がありますか?
            そのように思える人がいますか?
            その体験が、どんな時も自分を支え、自信を持ち続ける基になることでしょう。

            シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
            不安を安心に書き換える面談、勉強会、講座もしています。

            | 育児・子育て | 10:59 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
            306)虐待と無視
            0
              シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
              精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                         
              今日は、「虐待と無視 について書きたいと思います。

              虐待されるのが分かっているのに、結局舞い戻ってしまう人がいます。
              周囲の人は、『どうして?』と理解に苦しむことでしょう。
              それは
              その人にとって、自分が間違いなく存在し、生きていることの証となっているからはないでしょうか

              『虐待は嫌だけど、少なくとも虐待されている間は自分が生きている実感がある』
              『私は彼に、(虐待する対象として)必要とされている』
              このように語った人がいました。

              何よりも『無視される』ことを恐れているかのようです。
              それほど、無視されることは、人にとって辛いことなのです。
              (これについては、以前にも書きましたが)

              無視=自分という存在が無くなるに等しい

              だから
              「無視されるよりは、まだ虐待の方がましだ。だって、私がそこに居るから虐待する。
              居なかったら、虐待すらできはしないのだから。」
              と思ってしまうのかもしれません。
              つまり、
              虐待されることが、少なくとも自分が存在し、生きていることの証となっているからです。
              このように考えてみると、
              虐待されるのが分かっていながらも、結局戻ってしまう理由が少し理解できるような気がします。

              どうしてこれほどまでに、人は自分の存在が無くなることを恐れるのでしょうか?
              どうしてこれほどまでに、自分の存在を証したいと思うのでしょうか?
              これについては、後日考えてみたいと思います。

              ご意見、ご質問はシニフィアン研究所までご連絡ください。
              http://signifiant-lab.com/
              トラウマのサイトもあります。http://signifiant-lab.com/trauma/

              | 非行・家庭内暴力・DV | 14:23 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
              305)透明人間−幽霊(ファントム)になる
              0
                シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                           
                今日は、「透明人間−幽霊(ファントム)になる について書きたいと思います。

                「あなたにとって私って何?」
                「私が存在している意味はあるの?」
                このような問いかけをしたことはありませんか。

                これらの問いかけに対して、他者から
                「私にはあなたが必要だ」→「あの人には私が必要だ」
                「あなたに居て欲しい」→「私はここに居て良い」
                と言われた(思えた)なら、
                自分の存在を肯定し、存在している意味を見い出すことができるでしょう。

                ところが、話しかけたのに無視されたり、否定されたり、拒否されたり、途中で遮られたら、
                自分の存在を否定されたように感じたり、
                存在している意味がないと思ってしまう可能性があります。
                少なくとも、語りかけた相手にとって、自分という存在は必要ない。
                つまり、存在している意味はない。
                このように感じてしまう。
                そうすると
                一気に自分の存在が透明になり、その場から消えたくなってしまう。
                これが、ここでいう≪透明人間≫であり、幽霊(ファントム)です。


                悩みを抱えた人たちの話を聞いていると
                「消えたい(逃げたい)」「消えてしまいたい」「居場所がない」という言葉をよく聞きます。
                それは
                体はその場にあるけれど、その場に居る意味がない。
                =透明人間=ファントム(幽霊)と等価であるといえるのではないでしょうか。

                このように、「無視」「否定」「拒否」「切断」は、人を
                透明人間=幽霊(ファントム)=人間でないものにしてしまう可能性があります。
                そうならないためには
                「肯定」「承認」「受容」が必要であり、
                その前提として『よく聴くこと=傾聴』が大切だと言いたいと思います。

                聴いてくれる場所がありますか。
                聴いてくれる人がいますか。
                透明人間になっていませんか。
                幽霊(ファントム)になりつつありませんか。

                シニフィアン研究所のHPを参照ください。http://signifiant-lab.com/
                要請があれば、全国どこへでも出張します。
                詳しくはこちまでお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/#8

                | 生き方 | 11:25 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                304)家庭内暴力と怒り
                0
                  シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。

                  精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                             
                  今日は、「家庭内暴力と怒り について書きたいと思います。

                  暴力の背景には一体何があるのでしょうか。
                  それは『怒り』 であり、その解決方法は怒りの基をよく聴くことだ』と言いたいと思います。

                  青少年の家庭内暴力や、恋人・夫婦間の暴力(DV)の相談を通して観えてくるものがあります。
                  それは『怒り』です。
                  その内容は様々です。
                  ただ共通しているのは
                  ≪何で解ってくれないんだ!
                  との叫びです。 

                  ある男性(DV)が言いました。
                  「手を出すのは悪いのは分かっている。しかし、あいつは俺のことを理解しようとしないんだ。だから殴ってしまうんだ。」
                  また、ある少年は
                  「母さんは、オレに文句を言うことしか知らない。オレの言うことを聞こうとはしないんだ。」
                  「オレに正面から向かって来いと言ってるのに、良い親面ばかりしてやがる」
                  と、言いました。

                  暴力は決して容認できるものではありません。
                  まして、その対象が弱者であれば言うまでもありません。
                  ただ、暴力を振るってしまう側に目を向けた場合、
                  そこには、
                  「相手が、オレの言うことを聴こうとしない。」
                  「オレの言う通りにしない。」
                  などの不満が見えてくるように思います。

                  暴力はいけないことだと頭では分かっています。
                  しかし、相手に解らせるためには、もはや暴力という方法しかない。
                  あるいは、暴力という方法でしか伝わらないと思ってしまっている。
                  そんな気がします。

                  「話せばわかる」という言葉があります。
                  彼らの話を聞いていくと、
                  彼らも最初は、相手に対して話して(言って)いるのです。
                  「〇〇してほしい」
                  「〇〇したい」etc
                  ところが、
                  無視されたり、否定されたり、説教されたりして自分の思うように相手が動いてくれない、聞いてくれない、
                  そのような状況に直面し、最初は我慢しています。
                  それらは一度ではなく、何度も繰り返され、幾重にも積み重なり、
                  やがて≪怒り≫となって蓄積されていきます

                  それらの蓄積した怒りが、ちょっとしたキッカケによって
                  一気に爆発するようです。
                  『クソッ!またかよ!』
                  『そんなこと言ってないだろ!』と我慢してきた怒りが一気に湧き上がってくるのです。
                  これが、家庭内暴力やDVと言われるものとなるのです。

                  これらに対する方法は、まず『聴くこと』です。
                  彼らは、そもそも何を求めているのか?
                  何を言いたくて伝わらない、聞いてくれないと思っているのか?
                  ここから向き合ってゆくことです。
                  これには第三者の介入が必要となるでしょう。

                  具体的なことはさておき、ここでは、
                  家庭内暴力やDVなど「暴力」の根底には何らかの『怒り』の蓄積があることを書きました。
                  その『怒り』が何であるかを知るには、相手の言うことをよく聴くことです。
                  精神分析という方法によってその怒りを明らかにすることが可能です。

                  聴いているにも関わらず、解らない、聴けない方、興味を持たれた方は
                  シニフィアン研究所までお問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
                  勉強会、講座もあります。 http://signifiant-lab.com/#10 http://signifiant-lab.com/#11


                  | 非行・家庭内暴力・DV | 15:24 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                  303)お互いのズレから始まる
                  0
                    シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                    精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                               
                    今日は、「お互いのズレから始まる」 について書きたいと思います。

                    オールOKで向き合うことは、自己肯定、自己価値、自信を高めることだと書きました。
                    今日は、あらゆる問題は、まずお互いのズレから始まると言いたいと思います。
                    ここでは、母子関係を中心に考えたいと思います。
                    なぜなら、対人関係は母子関係から始まるといえるからです。

                    特に、非行や引きこもり、暴力など問題行動だと呼ばれる人たちは、
                    それらの行動を通して、自分を理解してほしいと訴えていると感じます。
                    自分に向き合ってほしい。
                    見捨てないで欲しいと叫んでいる。
                    そのように痛感するのです。
                    それに対し、周りの人たちも、何とかしたいと必死の思いを抱えています。

                    ところが、残念なことにお互いの思いがズレていて、うまくかみ合っていない。
                    それゆえに、お互い増々エスカレートし、収拾がつかなくなってしまっている。
                    それは一種の『コミュニケーション障害』だと言えるでしょう。
                    お互いが、「どうして解ってくれないのか」と嘆いている。
                    通じなさに対して、歯がゆさを感じている。
                    それが一段と互いを刺激し合うことになる。
                    この悪循環から抜け出せなくなってしまっている姿が見えます。

                    その打開策の一つは
                    まず、何を求めているかを知り、その求めている物を与えることです。
                    これが≪ズレの調整≫です。

                    この時、大切なことは

                    「母が子どもの想い(価値観、考え、物差し)に合わせること」です。
                    そのためには、一度母は自分の想いを捨てることが必要です。
                    このことを以前「馬鹿になる」と書きました。
                    つまり、母と子どもの思いのズレを調整するためには
                    母の方から自分の想いを捨て、子どもの想いに合わせることが必要です。

                    逆に、親の想いに子どもを合わさせることは、一種の「見捨て」だと言えるでしょう。
                    母が見捨てたなら、それは糸が切れた凧同然です。
                    母が子を見捨てる=子どもが母を見捨てる
                    に繋がり、それ以後、見捨てられた子どもは社会に甘えることになります。

                    そう言える両方の症例がたくさんあります。
                    ただ、ここに紹介できないのが残念です。
                    それら症例を通して、痛感することは
                    「母が見捨てなければ、紆余曲折があっても、子どもは必ず自分で自分の歩く道を見い出す」
                    ということです。
                    そのためには、親子のズレを調整することからだと言いたいのです。

                    ただ、なるほどと思ってもなかなか子どもを目の前にすると実行的ないのが通常です。
                    その原因は、親の側の無意識と呼ばれるものにあります。
                    それを知らない限り、葛藤が生じるでしょう。
                    その無意識を知る方法が『精神分析療法』なのです。

                    興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPを参照ください。
                    http://signifiant-lab.com/
                    明日6日から8日までは関西におります。
                    近隣の方は面談可能です。
                    お問い合わせ、ご連絡は携帯へお願いします。http://signifiant-lab.com/#8

                    | 育児・子育て | 10:27 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                    302)子どもは母の想いの結晶
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                      | 育児・子育て | 09:57 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                      301)オールOKの効果―自信を持つに至る
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                        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                        精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                                   
                        今日は、「オールOKの効果」 について書きたいと思います。

                        子育てはもちろんのこと、非行不登校引きこもりの人たちに対して、
                        『オールOK』て対応することを推奨しています。
                        その経験の中で、オールOKの効果の一つを紹介したいと思います。
                        それは≪言葉を信じる=自己肯定=自信を持つ≫という効果です。

                        オールOKをしてもらう体験は
                        自分の要求がその内容の是非に関わらず、肯定される体験であり、
                        その体験が『基本的信頼感』の基礎をつくると言われています。
                        基本的信頼感は、自己愛を育て、自己価値・自己肯定をもたらし自信を持つに至ります。
                        このような話をしていると、ある人が言いました。

                        「頭では理解できる気がしますが、本当にそのようになるのか信じられません。」
                        なるほど、と思いました。
                        体験したことがなければ、信じられなくても当然です。
                        では、体験しなくても信じられることはあるのでしょうか。
                        このような議論をしていても前に進まないでしょう。
                        そんな時、
                        『まずはやってみませんか?』と言います。
                        半信半疑でもいいですから、試してみませんか、と提案します。

                        それを聞いて、「やってみる人」と「やらない人」の差は何でしょうか。
                        それは≪言葉を信じるかどうか≫だと思うのです。
                        「オールOKすれば自信を持つに至る」
                        この言葉を信じるかどうかです。
                        語った人や言葉の内容が正しいかどうかではなく、ただ言葉を信じるかどうかです。

                        表現を変えていうと(誤解を恐れずにいうと)
                        「馬鹿になれるかどうか」ではないでしょうか。
                        聞いたまま(言葉)に従ってやってみる。
                        自分の考えや意見を入れずに言葉に従うこと、の意味です。
                        これが『オールOK』でもあります。
                        例えば
                        親が子どもに対してオールOKするとは
                        親の考えや意見を入れずに、「子どもの言った言葉の通りに行動する」ということです。
                        これを『聴く(耳を持つ)』とも言います。


                        そうすれば
                        自分の言葉が親に通じる⇒受け容れられた⇒自己肯定された⇒自信を持つ

                        これらの過程が揺るぎないと感じることができるまで積み重ねること、
                        オールOKし続けることが求められます。
                        それがそのまま、与える親の側も共に同じ体験をしていることになるでしょう。
                        つまり、親自身も自信を持つに至るということになるでしょう。

                        以上、オールOKをすることの双方の効果の一つだと思うのです。
                        伝わったでしょうか?

                        シニフィアン研究所では、
                        具体的なオールOKの方法を学ぶ講座や教室を用意しています。
                        希望により、フリートークなども開催しています。
                        興味を持たれた方は、お問い合わせください。http://signifiant-lab.com/
                        子育てのサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/
                        不登校のサイトhttp://signifiant-lab.com/escape/
                        思春期のサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

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