≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法を研究、実践中です。
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    354)好きなことの向こう側にあるもの
    0

      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
      精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
      そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。

       今日は、「好きなことの向こう側にあるもの」 について考えてみます。

      好きなことの向こう側にあるもの、それは「私の喜び・仕合せ」ではないでしょうか。

      「好きこそ物の上手なれ」とのことわざがあります。
      故事ことわざ辞典によると、その意味は『
      どんなことであっても、人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ。』
      注釈として『誰でも好きでやっていることは一生懸命になるし、それに関して勉強したり工夫したりするので、自然に上達するものである。
      芸事は、無理して嫌だと思いながらやっても、成長はないということ。』とあります。(故事ことわざ辞典http://kotowaza-allguide.com/su/sukikosomononojyouzu.htmlより一部引用)

      好きなことに対しては言うまでもなく、時間もエネルギーも惜しみなく費やします。
      時には寝食忘れて没頭します。
      そこには、努力も探究心も向上心も研究心も芽生えるでしょう。
      それが結果的に充実した時間と感覚をもたらすことになります。
      そして、嬉しい、楽しい、好きだ、仕合せだとの実感に繋がってゆくことになることでしょう。
      その気持ちがより一層の努力と探究心、向上心、研究心を刺激する。
      この正のスパイラルがどこまでも喜びと仕合せを生み出し続けるのだと思います。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      例えば、子どもに関する相談の中に「ゲームに夢中になって勉強をしなくて困る」というのがあります。
      そのような場合にはまず、「それは素晴らしい」と言います。
      なぜならその子どもには、夢中になれるエネルギーがあるのですから。
      そのエネルギーの向かう先が、今は「ゲーム」だということです。
      その先が勉強、スポーツ、習い事だと問題視しないでしょう。
      だとしたら、問題とすべきことはエネルギーの向かう先ではないでしょうか?
      あるいは、このように考えてみるのはどうでしょうか。
      ゲームをするにも知識や知恵や技術が必要です。
      ゲームを突き詰めればその先には際限のない未来が広がっているかもしれない。
      だとしたら、しばらくはゲームに夢中になっている子どもを長い目で見守ってみるのも一つの方法かもしれない。
      子ども自らがゲームの先に未来を見い出さなかったならば止めるだろう。
      もし、何らかの未来を予感したなら、それを生かす何かを引き寄せるに違いない。
      このような観点に立って子どもを見守れたなら、それまでとは違った見方ができるのではないでしょうか。

      実例として、ゲームに夢中になるあまり、ゲームのキャラクター制作の道に進んだ人もいます。
      またゲームクリエイターになった人、アニメ制作のスタッフになった人もいます。
      彼らは「ゲーム」を通してその向こう側に、自分の喜びと仕合せを掴んだと言いました。


      「生徒や学生にとって、勉学は優先すべきことである」との観点からは問題視されるかもしれません。
      ゲームばかりしている姿を見ていたら、不安に思うことでしょう。
      しかし、彼らの生き方も一つの社会参入の在り方だし、何よりも本人が喜びと仕合せを味わっていることが素晴らしいと思えるのです。
      何をしているかよりも、どのように生きて(感じて)いるかが重要ではないでしょうか。
      人は何よりも自分が好きなことをしている時が、一番イキイキ生きていると実感でき、喜びと仕合せを手にしている時だと思うのです。
      その時、自ら自発的、積極的に必要なことを求め、学び、吸収し、活用することでしょう。
      もし違っている所があるとしたら、それはある時期他の人と同じ道を歩まなかったということでしょうか。

      これらのことから、夢中になれるものがあること、好きなことがあることは素晴らしい。
      好きなことの向こう側にあるもの、それは「私の喜び、仕合せ」である。
      そのように思うのです。

      あなたには好きなこと、夢中になれることがありますか。
      これだけは譲れないと思えるものがありますか。
      それは誰の喜びですか。
      あなたの喜び・仕合せですか。

      シニフィアン研究所 迎意愛のつぶやきです。
      ご意見ご感想、お問い合わせはこちらまでお寄せください。http://signifiant-lab.com/

      | 育児・子育て | 11:30 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
      353)開く・プラス思考・希望・未来へ
      0

        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
        精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
        そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。

         今日は、「プラス思考・開く・未来へ・希望」 について考えてみます。

        人は困難や障害物に出合った時、それらに向き合い、乗り越えてゆくという決意と勇気を必要とします。
        ややもすると、あまりの強大さに圧倒されることもあるでしょう。
        乗り越えてゆく勇気も希望も持てないかもしれません。
        心が折れてしまうこともあるでしょう。


        困難に直面した時、
        弱気になり、それがマイナス思考を生み、過去に捕らわれ、消極的になり、心閉ざし、そのスパイラルを強化してしまう。
        その先に見えるのは絶望しかない。
        いっそ死んでしまった方がどれだけ樂だろうという想いが頭をかすめるかもしれない。
        それでも生きていかなければならない現実がある。
        「天涯孤独だったら死を選べるのに、それさえもできない現実が恨めしい」
        このように語った人がいました。
        辛い、苦しいという言葉さえも出てこないくらいの辛苦。

        こんな時、どうすればよいのか、何ができるのか。
        どうすることも、何もできないのか。

        プラス思考に切り替え、心を開き、未来へと希望を持つにはどうしたらよいのか。
        弱気を強気に、消極的を積極的へ、マイナス思考をプラス思考へと換える。
        過去よりも未来へ、絶望から希望へと心を向け換えるにはどうしたらよいのか。

        艱難辛苦は人の心と体を硬く冷たくします。
        それらを和らげるには、まずは温めることではないでしょうか。
        硬く冷え切った心身を緩めるのは、「人の温もり」。
        温かい肌の温もり、温かい食事、人の心の優しさ(優しい言葉)。
        それらが心身を緩め、凍てついた心と身体を解凍させる。
        その時、人は癒され、温まり、今生きている自分を感じる瞬間ではないでしょうか。
        そうすれば、いつか
        心開き、前を向き、未来への希望を持ち、それに向かっての一歩を踏み出すことでしょう。
        前へ、前へ、そしてもっと前へ!
        その時、目の前にある未来はきっと明るく輝いて映ることでしょう。

        ご意見・ご質問はシニフィアン研究所 迎意愛までお寄せください。
        こちらです。 http://signifiant-lab.com/

        | 生き方 | 11:10 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
        352)一家団欒(だんらん)
        0

          シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
          精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
          そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。

           今日は、「一家団欒」 について考えてみます。

          「一家団欒(いっかだんらん)」=一家族が集まってなごみ楽しむこと
          辞書にはこのように表記されています。
          核家族化と呼ばれて久しいですが、どれだけの家族がこの団欒を時をもっているでしょうか。
          その是非はとまれ、
          ここでは、食事を中心に一家団欒がもたらすものについて考えてみます。

          そしてそれは、「共食」「共感」「共生」であり、それが安心・安全の基であり、それが心身共に安らぎをもたらすと言いたいと思います。

          「共食」とは、ここでは文字通り、一つの食卓につき共に食事をすることを指します。
          食卓に家族が一堂に会するということです。
          それは、お互いが時間と空間を同じくすること(時空の共有)を意味します。
          「共感」とは、母の調理した料理を口にし、それぞれの味わいと感想を共有すること(味の共有)をいいます。
          「共生」とは、共食と共感により、共に生きていることが実感できることを指します。

          改めていうまでもなく、「食」は人が生きていく上でその基本となるものです。
          必要な栄養を取ることだけが目的ではなく、「食」を通して様々なものを取り入れることでしょう。
          素材、調理方法、食器、雰囲気などなど、数えきれないくらいの付加されるものがあります。
          それらすべてを含めての食事の基本が、まずは家庭の食卓であり、
          そしてその基本となるものが「共食」「共感」「共生」だといいたいのです。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

          子どもの様々な問題と向き合っていると、ある共通点が見えてきました。
          すべてとは言いませんが、かなりの子どもが個食(孤食)の傾向にあるのです。
          ある小学生に聞くと
          「別に普通、1人でテレビ見たりゲームをしながらの方が楽しいし、、、」と言いました。
          ある年齢以上になると、家族が一堂に会することは難しくなることでしょう。
          だとしたら、それまでの時期に「共食」の楽しさを可能な限り体験させてあげたいものです。
          共に食べ、共に語り、共に味わうことの楽しさを知る。
          それが「我が家の味」であり、「おふくろの味」と呼ばれてきたものではないでしょうか。
          その上にさまざまな味の体験を重ねていく。
          家庭(母)の味を比較参照として「美味しい」「イマイチ」「口に合わない」などと語るのだと思うのです。
          家庭の味を知らないとは、まさしくこの母の味を知らない、一家団欒の時と空間を味わったこと、味の基本となるものがない、ということではないでしょうか。

          ………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

          何よりも人がホッと安らぎを感じるのは、昔なつかしい味に出会った時では?
          「何故かなつかしい気がする」
          「なぜかホッとする」
          「何故か分からないけど好き」
          と表現する時は、どこかで「我が家の味」、それはまた家族(母)との思い出に繋がっている、そのように思うのです。

          「同じ釜の飯を食った仲だ」
          「同じ鍋をつついた」
          「一つのパンを分け合った」etc

          これらの体験が心身の栄養素となり、成長をよりいっそう促す。
          心身の健康はまず食卓から、一家団欒の時空から始まると言いたいのです。

          多忙な時を生きている私たちですが、日に一度、週に一度、月に一度でも「一家団欒」の時間と空間を可能な限り持ちたいと思っていませんか。

          今日は「一家団欒」について書いてみました。
          ひょっとしたら死語となりつつある、あるいはもうすでになっているかもしれません。
          それでもやはり古くて新しい言葉だと思います。

          シニフィアン研究所の迎意 愛からのメッセージです。
          HPも参照ください。http://signifiant-lab.com/

          ★個食とは、 (「孤食」とも書く)家庭で、家族が団欒(だんらん)することなく、一人で食事をすること。また、一人一人がばらばらの時間に食事をとること。
          ・個食とは、家族が集まっていても各人個別の食事を取ること。

          | 家族 | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
          351)本日から関西出張
          0
            シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
            精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
            そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。

             今日は、「本日から関西出張」 再度のお知らせです

            今月初め(10月1日)にお知らせしましたように、今夜から関西に向けて出張します。
            今夜は午後6時以降は大宮から赤羽、新宿周辺におります。
            明日〜10日までは、大阪市、和歌山市を中心に出張しておりますので、
            近隣の方はこの機会に是非ご連絡、ご参加ください。
            面談はもちろん、養成講座、フリートーク他、電話での相談も可能です。
            新たな講座も企画中です。参加者が集まれば来月から開講予定です。
            どしどしお問い合わせください。

            詳しくは携帯にご連絡いただくか、ブログ記事346)関西出張のお知らせ、もしくはスケジュールを参照ください。http://signifiant-lab.com/#161

            | お知らせ | 12:15 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
            350)自分をコントロールする
            0
              シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
              精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
              そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題だと実感することでしょう。

               今日は、「自分をコントロールする」 について考えてみます。

              ある人が「自分をコントロールできない」と言っているのを耳にしました。
              自分をコントロールするとはどういうこと?
              自分の何をコントロールするのでしょうか。
              たいていは、「感情」もしくは「行動」を指すのではないでしょうか。
              「行動」は「感情」を元に表現されたものだとするなら、
              「自分の感情をコントロールする」と考えて良いと思います。
              そして、コントロールする必要性を求められるのは特に「負の感情」、例えば怒りや憎しみ、恨みなどが考えられます。

              では、自分の負の感情をコントロールするとはどういうことを指すのでしょうか。
              フロイトは「欲動は緊張の解放以外に帰着することはなく、逃避によっては達しされないものである」との意味合いのことを書いています。
              欲動と感情とは同じではありませんが、外からの刺激に対して何らかの緊張が生じ、それがある感情を呼び起こしたと考えた時、その感情は開放することでしか、緩和されることはない、と読み替えてみます。

              かといって、感情をそのまま出したら、対人関係はうまくいかないことは目に見えています。
              子どもっぽい、わがまま、気ままだと受け取られてしまうことでしょう。
              だから、負の感情は出してはいけない、押さえましょうと教えられがちです。
              それが大人だ、できた人間だ、いい人だ、素晴らしいと褒められるかもしれません。
              そうなると、益々負の感情は出せません。
              いわゆるストレスと呼ばれるものが溜まり続けることとなります。
              辛いです、苦しいです、爆発してしまいそうになります。
              でも、我慢しなくちゃ、、、
              いつか限界がやってくることでしょう。

              他に回避する方法はないのでしょうか。
              あります。
              それは「言語化すること」です。
              感情を、緊張をより適切な言葉に置き換えて相手に伝えること。
              刺激からくる緊張を開放する=言葉に置き換えて伝えることです。
              完全な解放はないかもしれませんが、少なくともある程度の負のエネルギーは開放されることでしょう。

              以上から、感情をコントロールするとは、感情を抑えたり、書き換えたりすることではなく、適切な言葉に置き換えて伝えることではないでしょうか。そこから対話が生まれ、理解と解決へと繋がる可能性が開けると思うのです。

              ふと耳にした言葉から「自分をコントロールする」ということを考えてみました。
              ご意見などはシニフィアン研究所、迎意愛までお寄せください。
              こちらです。http://signifiant-lab.com/

              | 生き方 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
              349)時間と空間
              0
                シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
                そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題となることでしょう。

                 今日は、「時間と空間」 について考えてみます。

                人は時間的・空間的存在だといわれます。
                時間的存在であるとは、歴史的存在であること。
                自分の人生という歴史がそこには存在している。
                昨日までと今日、そして明日。これらが時間経過と共に繋がっていて、記憶としても連続したものだと思えること。ごく当たり前のことのように思っているかもしれないけれど、少し考えてみるとどうでしょう。

                今日までの記憶が繋がって思い出せるかどうか。
                昨日のことなら思い出せるかもしれないけれど、一週間前はどうだろう。一か月前は。一年前は。
                このように考えてみると、どこかで繋がっていない、思い出せない記憶にぶち当たる。
                歴史的、時間的に繋がっていることは、間違いないはずなのに、、、、
                通常はこのようなことは、問いかけもしないし、疑いなどしないことでしょう。
                時計、カレンダー、写真、DVDなどの記憶媒体によって確かめられもするから安心している。

                空間に対してはどうでしょう。
                私たちは自分の肉体も含め、平面的よりも立体的な世界に生きている。
                だから空間的世界に生きていると思っている。
                キャンバスに描かれた絵画を見ても、立体的な世界をその中に想像できる。
                しかし、よく考えてみると、不思議な気もしてきます。
                いつ、時間概念や空間概念を身に付け、疑うこともなく生活しているのでしょう。

                マーラ―という人によると、
                これらの感覚が形成されるのは、生後22か月〜36か月の間だとされています。
                その時期になると、「あとでね」とか「また明日」を理解するようになるという。
                生まれてから数年をかけてこれらの概念を理解できるようになってくるということになります。

                当たり前のことのように考えているかもしれないけれど、
                時として「心の時計が止まっている」とか「まるで昨日のことのように思える」「壁が迫ってきて窮屈に感じる」「空気に押しつぶされそうになる」などと言うことがあります。
                もちろん、時計が止まっているわけでも、空間が狭くなって
                いるわけでもありません。
                その時、その人にとってはそのように感じられるということです。
                このような経験は誰でも少なからずしていることでしょう。
                時計が間違いなく時を刻んでいても、建物が通常動くことはないとしても、
                人が感じる時間や空間は容易に変化し得るのです。
                それほど危うい世界に生きているといえるのかもしれません。

                今ここに居る、今この時を生きているとの意識をどれだけ持っているでしょうか。
                日々の目の前の役目や役割に翻弄されているとはいえないでしょうか。
                それは受身的な生き方のようにも思える。
                自ら能動的にしているつもりかもしれないけれど、実は「仕方ないから」「しなければいけないから」との急き立てのようなものに追いかけられてはいるのでは?
                自分がしたいことをどれだけしているでしょうか。
                このように問いかけてみた時、時間的・空間的存在である自分を見失っているかもしれないことに気づくのではないでしょうか。

                思い出せない記憶が多すぎるとき、それは「精神の骨粗鬆症」とでも言えるように思います。
                時間的・空間的存在である人生という歴史をどれだけ充実していると思っているでしょうか。
                充実しているとは、中身が詰まっていると言い換えることもできるでしょう。
                それは、それまでの自分の歴史を豊かなものとして記憶していることでもあると思うのです。
                消してしまいたいと思いながら生きてきた時間・空間と、忘れたくないと記憶してきた時間・空間を考えた時、内容はともかく、どちらが充実していると思えるかはいうまでもないことでしょう。

                記憶と記憶の隙間は誰にでもあること。
                その隙間を埋めたいと願うなら、精神分析という対話療法はおあつらえ向きだと思います。
                何らかの理由によって、自分の心から追い出したり、深く埋めてしまった記憶を、自分主導で緩やかに思い起こす方法だからです。
                知りたい、埋めたいとの気持ちを諦めない限り、時間的・空間的存在であることを理解し、その内容にかかわらず、きっと充実感を味わえると思います。

                時間的・空間的・歴史的存在である私たち人間は、ややもすると日々の生活に追い立てられ、急き立てられ、そのことを忘れてしまっているのかもしれません。
                今回はこのようなことを考えてみたかったのです。

                シニフィアン研究所のHPも参照ください。 http://signifiant-lab.com/

                | 生き方 | 11:02 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                348)まなざしの意味
                0
                  シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                  精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
                  そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題となることでしょう。

                   今日は、「まなざしの意味」 について考えてみます。

                  視覚とまなざしは違います。
                  視覚は「光の刺激を受けて生じる感覚」と辞書にもある通り、一つの感覚です。
                  それに対し、まなざしは「目つき、目の表情、視線」とあり、相手のまなざしの中に、「意味」を読み取るといえるでしょう。

                  例えば、自分が何かを言ったとき、相手が
                  ・笑顔になった=喜んでいる=私は好かれている
                  ・無視した=怒った=私は嫌われている
                  ・反応がなかった=どうしたんだろう=不安になる

                  このように、相手の態度や反応によって、そこに何らかの意味を読み取る。
                  読み取りの基準は、過去のデータ(経験値)との照合です。
                  そして、その始原はやはり養育者(母)との交流からだといわれています。
                  母が子どもの言動をどのように受け止め、語ったか?
                  いつもニコニコ顔の母が目の前にいたら、子どももニコニコ顔になる。
                  そして母が「〇〇ちゃん可愛いね、嬉しいね、楽しいね」と共に味わえたなら、きっと母と子はしあわせな気持ちに包まれることでしょう。
                  一方、いつもプリプリ顔の母が目の前にいたら、自分もプリプリ顔になりがち。
                  そして、母が「〇〇は言うこと聞かない悪い子だ、うるさい、あっちへ行け」と怒鳴りつけたなら、子どもは悔しさと悲しさのあまり泣きだし、暴れるかもしれません。
                  まるで母と子は、互いを映す鏡のようです。

                  お互いのまなざしの中に互いの笑顔や怒りを映し出す。
                  笑顔は二人に喜びとしあわせをもたらし、それが安心と安らぎへと繋がる。
                  怒った顔は二人に怒りや憎しみの感情を引き出し、恨みへと繋がるかもしれません。
                  このように、母と子はお互いを映す鏡の関係となります。
                  相手のまなざしの中に映った自分の姿を見つめ合っているのです。
                  これを「まなざしの交換」と呼びます。
                  仲睦まじい恋人同士の姿を想像すると理解できるでしょう。

                  この体験を基礎にして、その後の経験値を積み重ねてゆく。
                  そして、その膨大なデータをもとに、常に相手のまなざしの中に意味を読み取ろうとする。
                  同じ表情でも、人それぞれ読み取る意味は違っていることでしょう。
                  その読み取った意味は、誰の意味?
                  鏡の関係から考えると、、、
                  このように考えてみると、まなざしが怖いという人はそこにどんな意味を見い出しているのかが見えてくる気がします。
                  その人はそれまでどのような姿を映し出されてきたのかも想像できることでしょう。

                  笑顔は相手の中に喜びとしあわせ、安らぎをもたらし、それが鏡の像として反射して自分にも跳ね返ってくる。その結果、自分も喜びとしあわせと安らぎを感じる。
                  そんなまなざしの交換が互いの喜びを増幅させることとなる。
                  これが相思相愛の姿なのでしょう。

                  ♪目と目で見つめ合い〜♪
                  「目は口ほどにものを言う」「目は心の鏡」「目は心の窓」
                  こんな歌詞と故事ことわざを思い出しました。

                  今回は「まなざしの意味」について考えてみました。
                  無意識に読み取っているまなざしの意味に注意を向けてみることも、新たな自分発見に繋がる方法だと思います。
                  ご意見、ご感想はシニフィアン研究所、迎意愛までお寄せください。
                  シニフィアン研究所 http://signifiant-lab.com/

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                  347)愛着と絆
                  0
                    シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                    精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
                    そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題となることでしょう。

                     今日は、「愛着と絆」 について考えてみます。

                    「愛着」はどのようにして生まれるのでしょう。
                    「絆」はどのようにして結ばれるのでしょうか。
                    対象関係論では、次のように説明されています。

                    まず、母子一体から母と子として分離したところから対象関係が始まり、まず「愛着」が生まれる。
                    愛着の行動として、後追い、しがみつき、啼泣などの能動的な近接、接触行動だという。
                    それに応える母の母性的な養育態度との相互交流を通して母と子の「絆」が生まれる。

                    ここから考えると、
                    「愛着」は、ある特定の対象(始原は母)に対して抱くある特別な感情や行動と読み取れます。
                    その前提として、自分と自分以外(母)が識別できていることが必要。
                    つまり、自分とは違う誰か(何か)がいるイメージを持っているということ。
                    そしてその対象に対して、他とは違う特別な行動を示すこと。
                    これを「愛着」というのでしょう。
                    何よりも「愛着」は対象へ示す意思表示と捉えられます。
                    ということは、少なくとも自分と自分以外というイメージ(認識)がないと愛着も生まれない可能性が考えられます。
                    「愛着」が芽生え、育ってゆく過程で、自分以外の他者(もの)に対して関心を持つようになる。
                    逆に言えば、自分以外に関心を持たない人は、この愛着が育っていない可能性があると考えられる。


                    もしそうだとしたら、愛着を育てるにはどうすれば良いかが見えてきます。
                    愛着を持てる環境を用意することです。
                    愛着を育てる環境とは、「母子一体」を味わえる環境です。
                    母子一体を味わえる環境とは、、、
                    生後半年までのお母さんと赤ちゃんの姿を想像してみましょう。
                    母は常に赤ちゃんの傍に居て、片時も離れず、目と目で見つめ合い、言葉はなくても通じ合っているかのようです。
                    赤ちゃんの泣き声やしぐさ、行動を瞬時に読み取り、適切な行動で応える。
                    赤ちゃんからすれば、ちょっとしたしぐさをしただけで、母がメッセージを読み取り不快を快に換えてくれる。だから安心して満足し安らぎを覚え笑顔になり、時にはすやすやと眠る。
                    このような関係です。

                    こうして安心と安全、そして満足と安らぎを味わったからこそ、その母という対象に対して愛着を抱くのでしょう。
                    完璧な満足は得られないとして、言葉の世界に参入した後も、人はこの遠い過去の記憶をどこかに記憶していて、その再現を求めるのかもしれません。
                    それが、肌の温もりや、圧力(圧迫感)、音(声、トーン)として身体のどこかに刻印している。
                    だから、心疲れた時、何らかの問題や課題に直面した時、それら乗り越えようとして、過去の愛着体験により近い環境を求めるのではないでしょうか。

                    それらが一番表出しやすい時期が、思春期なのでしょう。
                    自分という個として自立(自律)するためには、どうしても心の中の「愛着」の体験やイメージが必要なのです。それを糧として独り立ちしてゆくのです。それがあれば、その上に時々の体験を積み重ねていけるでしょう。
                    時間的にかなり広げ過ぎましたので、元に戻しましょう。
                    「愛着」は自分に安心と安全と安らぎを与えてくれる人との間で培われるものだと考えるのです。
                    この「愛着」を向ける他者(母、もしくはその代理)との母性的な相互交流を通して「絆」が生まれると言われています。

                    以上のような「愛着」と「絆」を結べる体験(環境)をした人は、はたしてどれくらい居るでしょうか。皆無に等しいかもしれません。
                    何よりも大事なことは、その体験をしたかよりも、そのことに気づいているかだと思うのです。
                    気付いたなら、自らが何を求めていたのか、なぜ自分が、子どもがそのような行動をするのか、少し見えてくるかもしれません。
                    そこから新たな未来が見えてくるような気がします。
                    「愛着」を抱ける人が居ること、
                    その対象が「もの」だとしてもその向こうには必ず誰かがいたのではないでしょうか?
                    その対象に触れるだけで、愛着を抱いていた自分の姿が浮かぶのではないでしょうか。
                    そうすれば、身体に心にエネルギーのようなものが湧いてくるのを感じることでしょう。
                    このような自らの心の内奥に大切にしまっている歴史が誰にもあるはず。

                    それらに気づく方法の一つとして精神分析という対話療法があるのだと考えています。
                    これからも、シニフィアン研究所 迎意愛の「言語」と現実界を繋ぐ一つの試みをブログという形式で公開します。
                    関心を持たれた方は、シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
                    思春期の問題に関してはhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
                    を参照ください

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                    346)10月度関西出張のお知らせ
                    0
                      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                      精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
                      そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

                       今日は、「10月度関西出張のお知らせ」 について書きます。

                      10月1日、衣替えの季節となりました。
                      さて、今月も大阪市・和歌山市を中心に関西へ出張いたします。
                      面談はもちろん、インテグレーター養成講座、フリートークなど、興味のある方は是非ご参加ください。電話セラピーも可能ですので、必要に応じてご活用ください。


                      ●9月7日(月)17:00〜21:00 新宿駅周辺におります。

                       

                       ●インテグレーター養成講座 

                       

                      ●フリートーク

                      10日(木)10:00〜12:00
                      テーマ『対人関係―世代の違い』
                      参加費:1人1.000円(小学生以下無料)
                      予約不要・途中参加歓迎 お茶菓子を囲んで大いに語り合いましょう。 

                       

                      ●10日(木)17:00〜21:00 難波周辺におります。
                      ●11日(金)7:00〜10:00 大宮周辺におります。 

                       

                      近隣の方はご連絡ください。
                      なお、7日午後から11日までは携帯へご連絡ください。
                      連絡先はこちらです。

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                       

                      ☆ ≪人の心が癒されるとは?≫

                      相談者(クライアント)の心の叫びを集約すると「あるがままの自分」を表すこと、となります。その「あるがままの自分」が裁かれることもなく、批判されることなく、指導されることなく、他者に受け入れられること、これが癒しなのです。
                      あるがままの自分になりきることができない−それは、本音が言えない、自分の考えを言えない、思った通りにできない等々です。社会的に生きていくということは、妥協して適応しつつ生きていくことです。それが「仮面の生活」です。そんな生き方から、素顔の自分で生きたいと願うようになる。それが葛藤をもたらし、心の病となります。そんな苦しさからの解放は、ありのままの自分を語り、さらけ出すことです。しかし、社会にはそんな「場」はなかなかありません。
                      その「場」こそセラピールームであり、精神分析(セラピー)によって相談者(クライアント)を援助するのがインテグレーターなのです。一度、自分の言葉で話したいことを語ってみませんか?
                                                  <シニフィアン研究所HPより抜粋>

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