≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法を研究、実践中です。
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    396)言葉じゃない、だけど言葉が大事
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      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
      精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
      そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

      今日は、「言葉じゃない、だけど言葉が大事」について書きます。

      言葉じゃない、例えば笑顔だったり、温もりだったり、抱擁だったり、そばにいるだけ、ただ聞いてくれるだけでいい。
      そんな体験が少なからずあることでしょう。
      どんなに言葉を尽くしても伝えられない、表現できないことがある。
      天真爛漫な子どもの笑顔に心洗われたり、癒されたりすることもある。
      これは語ることで明らかにすることとは真逆の方向
      語らないでただ笑顔に向き合うことで、語る以上のことをそこに見い出す。

      心の中から、身体の中から勝手に湧き上がってくる何かがある。
      それらをありのままに感じることを「実感」「味わう」という。
      語ることは味わうことを希薄にする傾向がある。
      しかし、語ることがないとその実感を意識することが希薄になる。

      味わっている、実感している時、そのものと一体化しているという。
      一体化している時は言葉にできない。
      例えば、喜びの最中にいる時、人は言葉を失う。
      悲しみの最中にいる時、悲しいという言葉は出てこない。
      もし出るとしたら、叫びや慟哭。あるいは身体を使っての行動化となる。

      逆に言葉にできる時、人はそのものとの間には距離があるといえる。
      言葉にすることに終始すると、味気ないものとなる。
      実感を無視し続けると、いつの間にかそれらを感じること、味わうこともなくしてしまう。
      その先は空虚。

      このように語ることと味わうことは逆方向に向いているようで、実は断ち切れないものでもある。人が人として生きる上で、実感を時には言葉で語ることでより深くし、味わうことで語る以上のことを実感する。語ることと味わうことは直線状にあるのではなく、あるループを描きながら互いに交差しているようだ。 

      ゆえに、「言葉じゃない、だけど言葉は大事」となる。

      言葉で語りつつ、一方で味わう。
      この両方のバランスをとりながら日々を暮したなら、その先には一体何が見えてくるでしょうか。

      シニフィアン研究所 真道満喜 http://signifiant-lab.com/
      Twitter https://twitter.com/sindoumaki

      | 育児・子育て | 11:04 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP