≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法を研究、実践中です。
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    399)受容体験は生きるエネルギー
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      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
      なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

      今日は、「受容体験は生きるエネルギー」について書きます。

      受容するとは文字通り「受けて容れる(取り込む)こと」。
      今の自分のありのままを判定されることなく、改変されることなく相手の中に取り入れられることを意味します。
      前回のブログ「ありのままの子どもを認める」でも書きました。
      この受容体験をすることが、生きるエネルギーとなることをクライアントから教えられました。
      受容されて初めて生命を与えられる。
      受容されなかったならば、その先にあるのは「死」だとも教えてくれました。

      一方、この受容体験は自発性や自主性を育て、主体性を持つことにも繋がります。
      人は幼少期から自発性を持ちます。
      例えば、乳児が母の持つスプーンに手を伸ばします。
      それを自分で掴もうとする自発性だといいます。
      そしてその自発性を受け容れられたら、次第に自ら意図して掴もうとする自主性が出て、その繰り返しが主体性を持つことに繋がるとされます。
      失敗することも許容し、受け容れられる体験が成長を促すともいわれます。

      失敗するとそれを許容されず、すぐさま修正され、改変されてしまうと 自発性を潰し、自主性も主体性も学ぶ機会を奪われることになります。
      これが続くと、やがて主体性を根こそぎ奪われてしまうことになります。
      その結果、何もやる気も湧かなくなることでしょう。
      それを、あるクライアントは「その先には死しかない」と表現しました。 
      このように受容体験がないと「生きる意味がない」「死んでしまいたい」「消えてしまいたい」と考えるようになると教えてくれました。

      逆に、受容体験は人に生きるエネルギーと生きる意味を生み出すエネルゲンだと教わりました。

      ただあるがままを受け容れられる体験、これが人を活かし、生きるエネルギーへと導く。もし、違っていたり、不都合なことがあるとしたら、気づいた時点で自ら修正、改変していくことでしょう。その知を誰もが持っている。その知が動き出すのを見守り続けることが、人を育てる方法でもあると 考えています。

      地球におけるマグマのように、人の精神の内奥にもマグマに相当するエネルギーがあると考えたのがフロイトです。
      そのエネルギーを「リビドー」、その貯蔵庫を「エス」と名付けました。
      全ての人の精神の内奥にあるエネルギーを存分に活かす体験、それが受容体験だと考えます。

      対人関係をスムーズするために、このエスからのリビドーを過剰に抑え込んでいませんか?
      誰よりも自分が悪いものであると決めてしまっていませんか?
      大切なことは抑え込むことより、うまくコントロールして活用することだと言いたいのです。
      その一つの方法がここでいう「受容体験は生きるエネルギー」です。

      シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
      Twitter https://twitter.com/rakuhomanamiも参照ください。  

      | 育児・子育て | 15:22 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
      398)ありのままの子どもを認める
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        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
        なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

        今日は、「ありのままの子どもを認める」について書きます。

        子どもの言動を認め、受け入れる(肯定する)ためには親の心の中にある理想像を捨てることです。
        そうすれば、子どもは今の未熟な自分を認め、もっと成長したいと願い、努力することを学ぶことでしょう。

        親は自らの経験を基にして、子どものために良かれと思って様々なことを教えようとします。
        そして、子どもは親のその期待に応えようと思っています。
        それは親が喜ぶことであり、自分の存在が肯定されることにも繋がるからです。
        一方、子どもも未熟ではあるものの、成長と共に自分の意志と欲望を持ち、主張するようになります。
        それが、親子間に葛藤をもたらし、軋轢やバトルを生じさせます。

        親は子どものためを思ってと言い、子どもは親は解ってないと言います。
        兄弟姉妹や同級生、近所や親戚縁者の子どもと比較して言うかもしれません。

        では、なぜ親はあるがままの今の子どもを認めようとしないのでしょうか。

        一番大きな要因は、何よりも親の中にある理想の子ども像との比較ではないでしょうか。
        我が子はこうあって欲しいと思い描く理想の子ども像と、今の現実の子どもとを比べている。
        だから親は決して現実の子どもに満足することができない。
        理想はあくまでも想像、空想のイメージですから、現実とはかけ離れているのが通常です。
        ですから、現実の子どもはどんなに努力しても届くことは不可能に近いでしょう。
        このような理想のイメージと子どもは日々闘っていることになります。

        このような状況では、子どもはいつか疲れ切ってしまいます。
        子どもだけではありません。
        理想を追い続ける親の方も疲弊してしまうでしょう。
        親子は理想のイメージに翻弄され、やがて本来の目標(例えば子どもの仕合わせ)さえも解らなくなってしまう危険性があります。
        これでは悲劇です。

        ここから逃れる方法は簡単、まず親が理想を捨てることです。
        ここでいう理想を捨てるとは、理想を持ちつつもそれを子どもに押しつけることを止めることを意味します。
        親が抱いている理想の子ども像を捨てると、きっと今ある生の子どもの姿がみえてくる。
        子どもの長所も短所もみえ、短所を換えることよりも長所を活かす方を選択する希望が湧いてくる。
        ここまでくれば、子どももありのままの自分を受け入れられたと実感することでしょう。

        「ありのままの自分でいいのだ」
        「自分は何をしたいのか、何ができるかを考えよう」

        このように子ども自ら考えるようになるでしょう。
        これを自発性といいます。
        自発性は自主性を育て、主体性を持つ基盤ともいわれています。
        『アナと雪の女王』が大ヒットしたのもうなずける気がします。
        未熟で欠点だらけでもいい、ありのままの自分で生きていていいんだと思える。
        それが子どもを認める、受容することだと考えています。

        理想の子ども像を押し付けるのをストップしませんか。
        そうすれば親子が共にあるがままを受け入れ、笑顔になることでしょう。

        Twitterで日々つぶやいています。
        アカウントはシニフィアン研究所楽歩愛真 https://twitter.com/rakuhomanami
         

        | 育児・子育て | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
        397)11月度関西出張のお知らせ
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          シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
          精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
          そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

          今日は、「11月度関西出張のお知らせ」です。

          ☆11月4日(火)〜6日(木)和歌山市&大阪市(難波)

          ☆面談&インテグレーター養成講座&エディプスコンプレックス講座&フリートーク

          ・『フリートーク』について
          6日(木)10:00〜12:00
          テーマ≪言語を登録する≫

          11月3日・7日は大宮におります。
          近隣の方はこの機会を活用ください。

          連絡先等はこちらの携帯へお願いします。

          _________________________________

          ☆ 相手を受け入れるには自他分化が必要

          相手の言うことは分かるが、受け入れられないという人がいます。
          聞いていると腹が立ったり、いらいらする、どうして受け入れることができないのか悩むともいいます。
          それには「受け入れる」とはどういうことの理解がないと難しいでしょう。

          受け入れるとは文字通り、受けて入れることです。
          受け入れるためには、まずその前提として「自分と相手は違う」ことの理解が必要となります。
          自分と相手が違うとは、価値観や考え方などすべてにおいて違う。
          つまり、自分の価値観や考え方では測れない=すべてを理解できないということ。
          理解できたと思っても、それは自分の考え方からの理解であって、必ずしも相手の考え方ではないかもしれない。
          つまり、理解したと自分が思っているだけかもしれない。
          自分と相手は互いに理解しきれないほど違っている。
          このように考えられたなら、相手の言うことは自分とは違う相手の考えとして認めることができる。
          これが相手を受け入れるということではないでしょうか。

          ゆえに、相手(の言うこと)を受け入れるとは、自分とは違う相手だと認めることだといえます。
          このように考えたなら、相手を受け入れることは簡単なことではないでしょうか。
          なぜなら、「あなたはそのように考えているんですね。」と認めるだけでいいのだから。 
          そこには自分の考えは入らない、相手と同じでもいいし、違っていてもいい。
          そもそも自分と相手は違うのだから。

          逆に考えると、相手を受け入れられないのは、自分と相手は同じだとの考えを持っている。
          相手を受け入れるとは、自分も相手と同じでなければならないとの考えがあるからではないでしょうか。
          つまり、自分=相手の図式を持っている。
          これを『自他未分化』と呼びます。

          以上から、相手を受け入れるにはまず、自他分化がその前提として必要だといえるでしょう。
          子どもや友達、家族の言うことが受け入れられない時、自分と相手は違うという視点に立って聞いてみませんか。
          そうすれば、それまでとは違った受け止め方ができるかもしれません。

          シニフィアン研究所の楽歩愛真のHP http://signifiant-lab.com/
          twitter https://twitter.com/rakuhomanamiも参照ください。 

          | お知らせ | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP