≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法を研究、実践中です。
CALENDAR
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< August 2019 >>
PR
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
無料ブログ作成サービス JUGEM
スポンサーサイト
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    | - | | - | - | ↑PAGE TOP
    405)社会で生きやすいためには母が必要
    0

      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
      なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

      今日は、「社会で生きやすいためには母が必要」 について書きます。

      社会は言語が基本となって形成、運営されています。
      私たちは共通言語を基盤として、互いの意志疎通を図り日々生活しています。
      ですから社会の中で生きていく上で、言語は必須のものとなります。
      逆にいうと、言語を使って自らの意志や考えを他者にスムーズに伝えられるなら、より生きやすいと考えられます。
      そのためには母の存在が必須であり、重要だということを考えてみます。 

      すべての人は母から生まれる。ゆえに母が大好きだし、最初の愛の対象だと仮定します。
      そして母が居るからこそ、その母を求めて声を発する。
      たいていは「ママ」、自分の世話をしてくれている対象=母を呼ぶ声ではないでしょうか。
      そしてその母は、それまでずーっと自分に語りかけてくれていた人です。
      言葉を発する最初は、愛の対象であるわが母に対してだと考えられます。
      このようにして、自分に向かって語りかけてくれている人の言葉を徐々に自分のものとしていくようです。

      ここで、疑問が湧いてきます。
      言葉を覚えるためには、母が居なくても言葉を語りかけてくれる環境があればいいのでは?
      そうかもしれません。
      環境があれば必要に迫られて覚えるものだということも事実でしょう。
      ただ、複数の人から話しかけられるより、ただ一人の人との環境の方がよりその効果は大きいのではないでしょうか。
      特に初めて言葉を覚える子どもにとっては。
      例えば、大人が違う言語を習得する場合を考えてみてください。
      多数よりもマンツーマンの方が、そして何よりもその人に対して信頼や好意をもてるなら、より効果が期待できると思うのです。

      この観点から、言葉を自分のものとして自在に使えるためには、ただ一人の人が常にそばにいて世話をしてくれる環境の中で、そのただ一人の人から語りかけられること。そしてその人に対して信頼や好意をもてること。
      ここでは、母から世話を通して語りかけられる環境がより好ましいと考えます。

      自らの意志を他者に伝えるための言語を自在に使えることは、社会での生きやすさに繋がる重要な要因だと考えます。 
      この意味において、その原初において、ただ一人の人から世話をされ、語りかけられる環境がより望ましいと考えるのです。
      そしてそのためには母が最適な人だといいたいのです。 

      | 育児・子育て | 16:04 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
      404)母の場所に愛がある
      0

        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
        なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

        今日は、「母の場所に愛がある」 について書きます。

        すべての人は母という女性から産まれる。
        当たり前のこと。だから母が大好き、母が一番大事。
        これは男女の性別に関係なくいえる。
        でもいつかその大好きな母から心身ともに離れていかなくてはならない時が来る。
        これを「母子分離」とよぶ。

        特に男の子はその禁止が強い。
        いわゆる「近親相姦の禁止」という掟によって母以外に目を向けるように強く求められるから。
        いずれにしても、男女ともに母からの旅立ちをしなければならない。
        それが社会の中で生きていくために必須なことだと教えられる。
        その時期についてはさまざまあるとはいえ、少なくとも小学校に上がる7〜8歳くらい。
        母が片時も離れず子どものそばにいる必要がある時期は4歳までとされる。

        それまでの間、子どもはたっぷり母に甘え、わがままを許容してもらえる体験が必要。
        その仕合わせな時期の体験が後の人生の礎を創るといわれている。
        もっというと、母との時間が人生最初の愛の体験であり、母の場所に愛の起源がある。
        しかし、その愛は成就することはなく必ず破れる。
        だからこそ、母以外の場所での愛の近似値を探求し続けることになる。
        それが社会を形成してきた歴史であり、文化だと言っても過言ではない。

        愛は自らを孕み、産み、やさしく抱き止め乳を与えてくれた母の場所に起因する。
        ゆえに、母の場所に愛があるといいたい。

        | 育児・子育て | 15:32 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
        399)受容体験は生きるエネルギー
        0

          シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
          なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

          今日は、「受容体験は生きるエネルギー」について書きます。

          受容するとは文字通り「受けて容れる(取り込む)こと」。
          今の自分のありのままを判定されることなく、改変されることなく相手の中に取り入れられることを意味します。
          前回のブログ「ありのままの子どもを認める」でも書きました。
          この受容体験をすることが、生きるエネルギーとなることをクライアントから教えられました。
          受容されて初めて生命を与えられる。
          受容されなかったならば、その先にあるのは「死」だとも教えてくれました。

          一方、この受容体験は自発性や自主性を育て、主体性を持つことにも繋がります。
          人は幼少期から自発性を持ちます。
          例えば、乳児が母の持つスプーンに手を伸ばします。
          それを自分で掴もうとする自発性だといいます。
          そしてその自発性を受け容れられたら、次第に自ら意図して掴もうとする自主性が出て、その繰り返しが主体性を持つことに繋がるとされます。
          失敗することも許容し、受け容れられる体験が成長を促すともいわれます。

          失敗するとそれを許容されず、すぐさま修正され、改変されてしまうと 自発性を潰し、自主性も主体性も学ぶ機会を奪われることになります。
          これが続くと、やがて主体性を根こそぎ奪われてしまうことになります。
          その結果、何もやる気も湧かなくなることでしょう。
          それを、あるクライアントは「その先には死しかない」と表現しました。 
          このように受容体験がないと「生きる意味がない」「死んでしまいたい」「消えてしまいたい」と考えるようになると教えてくれました。

          逆に、受容体験は人に生きるエネルギーと生きる意味を生み出すエネルゲンだと教わりました。

          ただあるがままを受け容れられる体験、これが人を活かし、生きるエネルギーへと導く。もし、違っていたり、不都合なことがあるとしたら、気づいた時点で自ら修正、改変していくことでしょう。その知を誰もが持っている。その知が動き出すのを見守り続けることが、人を育てる方法でもあると 考えています。

          地球におけるマグマのように、人の精神の内奥にもマグマに相当するエネルギーがあると考えたのがフロイトです。
          そのエネルギーを「リビドー」、その貯蔵庫を「エス」と名付けました。
          全ての人の精神の内奥にあるエネルギーを存分に活かす体験、それが受容体験だと考えます。

          対人関係をスムーズするために、このエスからのリビドーを過剰に抑え込んでいませんか?
          誰よりも自分が悪いものであると決めてしまっていませんか?
          大切なことは抑え込むことより、うまくコントロールして活用することだと言いたいのです。
          その一つの方法がここでいう「受容体験は生きるエネルギー」です。

          シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
          Twitter https://twitter.com/rakuhomanamiも参照ください。  

          | 育児・子育て | 15:22 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
          398)ありのままの子どもを認める
          0

            シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の楽歩愛真です。
            なぜ、どうしてとの疑問を持ち、納得のできる答えを知りたいと考えている人にとって、精神分析という対話療法は有効な方法です。

            今日は、「ありのままの子どもを認める」について書きます。

            子どもの言動を認め、受け入れる(肯定する)ためには親の心の中にある理想像を捨てることです。
            そうすれば、子どもは今の未熟な自分を認め、もっと成長したいと願い、努力することを学ぶことでしょう。

            親は自らの経験を基にして、子どものために良かれと思って様々なことを教えようとします。
            そして、子どもは親のその期待に応えようと思っています。
            それは親が喜ぶことであり、自分の存在が肯定されることにも繋がるからです。
            一方、子どもも未熟ではあるものの、成長と共に自分の意志と欲望を持ち、主張するようになります。
            それが、親子間に葛藤をもたらし、軋轢やバトルを生じさせます。

            親は子どものためを思ってと言い、子どもは親は解ってないと言います。
            兄弟姉妹や同級生、近所や親戚縁者の子どもと比較して言うかもしれません。

            では、なぜ親はあるがままの今の子どもを認めようとしないのでしょうか。

            一番大きな要因は、何よりも親の中にある理想の子ども像との比較ではないでしょうか。
            我が子はこうあって欲しいと思い描く理想の子ども像と、今の現実の子どもとを比べている。
            だから親は決して現実の子どもに満足することができない。
            理想はあくまでも想像、空想のイメージですから、現実とはかけ離れているのが通常です。
            ですから、現実の子どもはどんなに努力しても届くことは不可能に近いでしょう。
            このような理想のイメージと子どもは日々闘っていることになります。

            このような状況では、子どもはいつか疲れ切ってしまいます。
            子どもだけではありません。
            理想を追い続ける親の方も疲弊してしまうでしょう。
            親子は理想のイメージに翻弄され、やがて本来の目標(例えば子どもの仕合わせ)さえも解らなくなってしまう危険性があります。
            これでは悲劇です。

            ここから逃れる方法は簡単、まず親が理想を捨てることです。
            ここでいう理想を捨てるとは、理想を持ちつつもそれを子どもに押しつけることを止めることを意味します。
            親が抱いている理想の子ども像を捨てると、きっと今ある生の子どもの姿がみえてくる。
            子どもの長所も短所もみえ、短所を換えることよりも長所を活かす方を選択する希望が湧いてくる。
            ここまでくれば、子どももありのままの自分を受け入れられたと実感することでしょう。

            「ありのままの自分でいいのだ」
            「自分は何をしたいのか、何ができるかを考えよう」

            このように子ども自ら考えるようになるでしょう。
            これを自発性といいます。
            自発性は自主性を育て、主体性を持つ基盤ともいわれています。
            『アナと雪の女王』が大ヒットしたのもうなずける気がします。
            未熟で欠点だらけでもいい、ありのままの自分で生きていていいんだと思える。
            それが子どもを認める、受容することだと考えています。

            理想の子ども像を押し付けるのをストップしませんか。
            そうすれば親子が共にあるがままを受け入れ、笑顔になることでしょう。

            Twitterで日々つぶやいています。
            アカウントはシニフィアン研究所楽歩愛真 https://twitter.com/rakuhomanami
             

            | 育児・子育て | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
            396)言葉じゃない、だけど言葉が大事
            0

              シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
              精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
              そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

              今日は、「言葉じゃない、だけど言葉が大事」について書きます。

              言葉じゃない、例えば笑顔だったり、温もりだったり、抱擁だったり、そばにいるだけ、ただ聞いてくれるだけでいい。
              そんな体験が少なからずあることでしょう。
              どんなに言葉を尽くしても伝えられない、表現できないことがある。
              天真爛漫な子どもの笑顔に心洗われたり、癒されたりすることもある。
              これは語ることで明らかにすることとは真逆の方向
              語らないでただ笑顔に向き合うことで、語る以上のことをそこに見い出す。

              心の中から、身体の中から勝手に湧き上がってくる何かがある。
              それらをありのままに感じることを「実感」「味わう」という。
              語ることは味わうことを希薄にする傾向がある。
              しかし、語ることがないとその実感を意識することが希薄になる。

              味わっている、実感している時、そのものと一体化しているという。
              一体化している時は言葉にできない。
              例えば、喜びの最中にいる時、人は言葉を失う。
              悲しみの最中にいる時、悲しいという言葉は出てこない。
              もし出るとしたら、叫びや慟哭。あるいは身体を使っての行動化となる。

              逆に言葉にできる時、人はそのものとの間には距離があるといえる。
              言葉にすることに終始すると、味気ないものとなる。
              実感を無視し続けると、いつの間にかそれらを感じること、味わうこともなくしてしまう。
              その先は空虚。

              このように語ることと味わうことは逆方向に向いているようで、実は断ち切れないものでもある。人が人として生きる上で、実感を時には言葉で語ることでより深くし、味わうことで語る以上のことを実感する。語ることと味わうことは直線状にあるのではなく、あるループを描きながら互いに交差しているようだ。 

              ゆえに、「言葉じゃない、だけど言葉は大事」となる。

              言葉で語りつつ、一方で味わう。
              この両方のバランスをとりながら日々を暮したなら、その先には一体何が見えてくるでしょうか。

              シニフィアン研究所 真道満喜 http://signifiant-lab.com/
              Twitter https://twitter.com/sindoumaki

              | 育児・子育て | 11:04 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
              394)オールOKは母も子も活かす
              0

                シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
                精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
                そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

                今日は、「オールOKは母も子も活かす」について書きます。

                あるクライアント(以下Tさんと称す)から是非伝えて欲しいと依頼がありましたので、紹介します。
                それはタイトルにも書いたように、≪オールOK子育て法は育てる母も育てられる子どもも共に活かす方法である≫ということです。

                Tさんが語った娘さんとの保育所入所をめぐるエピソードを紹介します。

                娘さん(当時5歳)を保育所に入所させようとしたとき、普段無口な娘さんが大粒の涙を流したそうです。
                それを見たTさんは「そんなに保育所に行くの嫌か?」と聞くと娘さんは小さな頭を下げてコクンとうなずいたとのこと。
                それでTさんは保育所に入所させるのを断念し、家で娘さんと一緒に過ごすことにしたのです。
                当時を振り返ってTさんは次のようなことを語りました。

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                ・内職をしていたので娘が保育所に行ってくれると助かると考えた
                ・娘の涙を見て、それほど嫌なら無理強いはやめようと決めた
                ・小学校へは行くだろうかとずいぶん心配した
                ・小学校入学すると、一転して毎日喜んで登校した
                ・それまでに心配は一気に吹き飛んだ

                Tさんはこれらの体験から、
                ・幼稚園や保育所を嫌がっても無理に行かせようとしなくても大丈夫。
                ・毎日子どもの言う通りに過ごしていたら、必ず自分から積極的に行動するようになる。
                ・学校へも行かないのではないかなどの心配も一切無用。
                ・共に日々を楽しく過ごす方が、イライラすることも少なく 逆にどんどん成長していく姿を間近に見られて嬉しいと感じる。

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                以上からTさんは、もし自分と同じように子育てで迷っていたり、心配している人がいたら、心配は無用。子どもの心に、言うことに寄り添っていけば必ず親も子も共に活き活き生きられる。 オールOK子育ては母も子も共に活かす方法だ。このことを是非伝えて欲しいと依頼しました。

                ちなみに、そのTさんの娘さんは高校卒業後、専門学校を経て競争率の高いと言われていた大手企業に就職し、現在も勤務しています。 専門学校も自らの意志で親に行かせてほしいと頭を下げたとのことです。あの無口で病弱で意志が弱かった娘が 、今のようになるとは当時は想像できなかったそうです。

                これはほんの一例ですが、Tさんの強い意志のもと、≪オールOK子育て法は母も子も活かす≫ということを紹介しました。

                少しでも共感できることがありましたら、今から実践してみませんか。
                行動すれば何らかの結果がでます。それを基に次の行動がきっと見えてくることでしょう。

                シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/
                サブサイト「精神分析的子育て法オールOK」http://signifiant-lab.com/raise/
                Twitter https://twitter.com/sindoumaki も参照ください。
                 

                | 育児・子育て | 11:37 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                390)自己主張できる子どもを育てよう
                0

                  シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
                  精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
                  そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

                  今日は、「自己主張できる子どもを育てようについて書きたいと思います。

                  自己主張できる子どもを育てるためには、≪とにかく語らせること≫だといいたいと思います。
                  自己主張するとは、自分の考えていること、感じたことなどを言葉で語ることと限定して考えてみます。
                  簡単にいうと、言葉で語ることだとなります。
                  あえて、言葉でと書きました。
                  人は言葉だけで語るとは限らないからです。

                  例えば、体を使って語ることもできるし、他の何かを使って語ることもできます。
                  病気やけが、舞踏やダンスなどは自らの体を使って語り、芸術作品などは他の何かを使って語る代表でしょう。
                  こうして考えてみると、人は言葉だけでなく、ありとあらゆるものを使って語る存在だといえるのです。
                  つまり、言葉を使わなくても語れるともいえます。
                  ですから、あえて言葉でと付け加えたのです。

                  繰り返しになりますが、自己主張できる子どもに育てるためには、とにかく語らせることです。
                  子ども時代からとにかく語らせること、つまり周りの大人はどんなことでも子どもの言うことを聞く姿勢を持つことです。
                  子どもにとってはどんなことでも大発見なのです。
                  ですから、それを身近にいる人に伝えたがります。
                  それをそのまま聞いてもらえることで、どんどん世界を広げていきます。
                  知らないことは知りたいと思うし、やってみたいと思うものなのです。

                  その手段として言葉を使い、やがて抽象世界をも経験できることを知るようになります。
                  語る内容はどんなことでもいい。些細なことでも、間違った使い方であってもいい。
                  とにかく語ることが重要です。
                  言葉を使うことで世界が広げられることを体験してゆくことこそ大切なことだと思います。
                  五感を通じて感じたこと、考えたことを言葉に置き換えて語る体験、それが対話の基本であり、自己主張へと繋がる。
                  どれだけ言葉に置き換えることができるかが、どれだけ自己主張できるかと等価だと思うのです。

                  つまり、どれだけ言葉を覚えたかよりも、どれだけ言葉を使ったか。
                  言葉を使う基本は、誰かに伝えること、伝えるには伝えたい他者がいること。
                  聞いてくれる人が傍にいることです。

                  このように考えてみると、自己主張できる子どもに育つかどうかは、どれだけ聞いてくれる人が傍にいて聞いてくれたかだといえる。
                  どれだけ言葉を知っていても、その時々に応じて適切な言葉を使えなければただ知っているだけです。
                  知ることと体験することは違います。
                  知っていても使う体験がなければ、語るということにおいては無用の長物ではないでしょうか。

                  最後に、自己主張できる子どもを育てるためには、まず語らせましょう。
                  語らせるためには聞く人がいることが必須です。
                  聞いてあげましょう。子どもがどんなことでも語りたくなる大人でいましょう。
                  そうすればきっと、いっぱい語ってくれることでしょう。
                  このようなことが「オールOK子育て法」の実践でもあるのです。
                  その向こう側にはきっと、自己主張できる子どもの姿がみえることでしょう。

                  オールOK子育て法についてはこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/raise/

                  Twitterもフォローしてみてください。https://twitter.com/sindoumaki

                  | 育児・子育て | 10:30 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                  387)しあわせになろう
                  0

                    シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
                    精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
                    そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

                    今日は、「しあわせになろうについて考えてみたいと思います。

                    関東甲信越地方も梅雨明け宣言が出ました。子どもたちは夏休みに入り、いよいよ夏本番ですね。
                    子どもを持つ親にとって、何かと普段とは違った時間が始まりました。

                    さて、今回は「しあわせになろう」をテーマに取り上げてみました。
                    「しあわせ」について定義することは難しいので、ここでは「しあわせ=満足」と置き換えてみたいと思います。
                    そうすると、しあわせになるとは満足することであり、満足するとは満足を味わうことといえます。
                    逆に、満足を味わうには何が必要でしょうか。
                    それは欲望をもつこと、例えば「〜したい」と思うことです。
                    したいと思うことはたいてい、その人にとって好きなことでしょう。
                    つまり、好きなことをしている時が満足を味わう時であり、しあわせだと感じている時となります。このように考えていくと、好きなことをすることがしあわせになることだといえるのではないでしょうか。

                    ≪しあわせになりたいと思うなら自分の好きなことをしましょう。
                    子どもにしあわせになってもらいたいと願うなら、子どもの好きなことをさせてあげましょう。

                    自分が好きだと思うとは、あくまでも主観的なものです。
                    そこには他者との比較参照は一切ありません。
                    他の誰かのしあわせのために何かをするのではなく、自分のしあわせのために自分の好きなことをするのですから。 
                     好きなことの積み重ねがしあわせな日々であり、しあわせな人生に繋がると思うのです。
                    選択しなければならない時には、迷わず好きな方を選択しましょう。
                    それがきっとしあわせを味わえる道に繋がっていることでしょう。

                    あらゆる情報が氾濫し、日々何もかもがスピードアップしているようにみえます。
                    それらに惑わされず、シンプルに考えてみませんか。
                    「好きだから」
                    このシンプルな判断基準で生きてみませんか。
                    「好きなことをしている時が一番しあわせだ」とよく耳にします。
                    「好きこそ物の上手なれ」ともいいます。 

                    心乱れた時、戸惑いを感じた時、混乱していると感じた時、そんな時問いかけてみてください。
                    『今自分の好きなことは何?』

                    シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
                    Twitterでは日々感じたこと、学んだことをつぶやいています。https://twitter.com/sindoumaki  

                    | 育児・子育て | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                    385)子どものしあわせ―安全と安心
                    0

                      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
                      精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
                      そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

                      今日は、「子どものしあわせ―安全と安心について考えます。

                      子どものしあわせって何か?
                      それは、何よりも安全と安心の環境だといいたいと思います。

                      ここでいう環境とは、家庭内の環境を、子どもは、小学校入学以前の子ども、しあわせは、子どもが嬉しい、楽しいと感じることと限定して考えてみます。
                      そうすると、子どものしあわせとは、家庭内で嬉しい楽しいと感じる環境であり、それが安全で安心の環境となります。
                      では、子どもが嬉しい楽しいと感じるとはどういうことでしょう。
                      したい時にしたいことができ、したくないことはしないことが許されること。
                      つまり、その時その時のあるがままを認められ、受け容れられることではないでしょうか。
                      しつけという名のもとに、親の都合のよい子どもに仕立てあげられないことです。
                      あるがままを認められ、受け容れられるとはこのようなことではないかと思うのです。

                      こういうと、「それでは社会では生きていけない」「後で困るのは子どもだ」「わがまま気ままになる」「親として責任がある」などの意見が出てくることでしょう。
                      それらを承知の上で、あえて言いたいと思います。
                      なぜなら、後に安全と安心の場所を求めて彷徨っている多くの人たちに出会うからです。
                      お決まりの意見なんか聞きたくない、それくらい分かっている。
                      そんなことを聞きたいのではない、この気持ちを苦しさを理解して欲しいだけなんだ。
                      意見されず、操作されず、求められず、ただホッとできる場所、そんな居場所が欲しい。
                      このように心の奥底から叫んでいる人たちの声を聴きます。
                      そして、そんな人たちの幼少期の家庭内には、安全安心と思える環境が無かったことを知りました。

                      一方、様々な違いはあるものの共通していう言葉があることに気づきました。
                      「寂しかった」「分かって欲しかった」です。
                      そばに家族が居る、居ないに関わらずです。
                      「物質的環境は満たされていたが、心は寂しく満たされなかった」と語った人がいます。 

                      成長して社会参入すると、あるがままを認められる機会は少なくなるのは必定。
                      それならせめて幼少期だからと許される時期に、たっぷり味わえる環境が必要です。
                      そして、大人になった時、その環境の再現を目指して自らの新しい家庭を持ちたいと欲望する。
                      まさしく安心と安全と感じられる環境である「家庭」を目指すことでしょう。
                      「家へ帰ってきたらホッとするなあ」
                      そんな言葉が漏れ出る環境、それが安全安心の環境であり、仕合せと感じる環境ではないでしょうか。

                      最初、小学校入学以前の子どもと限定して考えるといいましたが、幼少期の環境を再現する可能性が高いという意味において、年齢は関係ないと思います。ではなぜ、幼少期の環境を再現するのかとの問いには、人は知っていることしかできないと答えておきたいと思います。

                      子どものしあわせを考える時、まずは子ども自身が嬉しい楽しいと思える環境、あるがままを認められる環境を整えることだと言いたいと思います。

                      ご意見、ご質問はシニフィアン研究所 真道満喜までメール、電話 http://signifiant-lab.com/ 
                      Twitterでどうぞ https://twitter.com/sindoumaki 

                      | 育児・子育て | 11:30 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                      384)万能感からの脱却
                      0

                        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の真道満喜(しんどうまき)です。
                        精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えませんか。
                        そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧き、しあわせ入れ放題・つかみ放題だと実感することでしょう。

                        今日は、「万能感からの脱却 」について書きます。
                        万能感からの脱却をすることは、成長の階段を歩む一歩でもあるといいたいと思います。

                        幼少期の子どもは、「大人は何でもできる」と感じているといわれます。 
                        だから、「早く自分も大きくなりたい。」
                        「大人になって好きなことをしたい。」
                        この時、子どもは万能感を持ち、大人に同一化しているといいます。
                        それと同時に、同一化した自分も同じように万能感を持っています。
                        つまり、≪大人になったら自分は何でもできる≫と思っているのです。
                        だから子どもは、あれもしたい、これもしたいとの夢を抱くのでしょう。

                        このような「何でもできる」=万能感を抱くことは心の発達の観点からも大切なことです。
                        ところが、万能感はやがて打ち砕かれる時がやってきます。
                        親も決して万能ではないことを知るのです。
                        やがて、万能である大人に同一化していた自分も万能でないことに気づき始めます。
                        つまり、万能感からの脱却への一歩です。
                        それがやがて、万能でない自分=欠点のある自分を知ることにもつながっている 。

                        この観点からいうと、万能感を持ち続けているということは、自分の欠点を認めない。
                        自分に厳しい、欠点のある自分を許せない傾向にある。
                        それを他者に投影すると、相手の欠点を許せない、間違いを許せない、理想通りでない部分を認めようとしない、などなど。

                        ここから、自分も万能ではないと知り、受け入れることは、他者も万能でないことを認め許せることにつながる

                        成長する過程の中で、万能感からの脱却は必要であると共に、多大なエネルギーを消費することでもあるでしょう。それは、一つの危機の時でもあるかもしれません。
                        が、それを受け容れた時、また一つ成長したといえるのではないでしょうか。
                        そしてそのようなことは、幾度となく直面することかもしれません。
                        ですが、成長という観点からみたとき、その都度向き合うことの大切さと成長の喜びもあると考えます。
                        精神分析はその一助を担っています。

                        シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/ 

                        | 育児・子育て | 13:32 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP