≪整心科学研究所(埼玉県上尾市)≫

自己治癒力により心身を整えていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法を研究、実践中です。
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    315)摂食障害(過食・拒食)
    0
      シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
      精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                 
      今日は、「摂食障害(過食・拒食)」について書きたいと思います

      以前にも、「摂食障害=接触障害」のタイトルで書きましたので参照して頂ければと思います。(http://blog.goo.ne.jp/kuutyann77/e/dd630d880d5c1838b77d311a24fe67a7参照)

      ≪痩せたい≫≪ダイエット≫
      多くの女性にとって、少なくとも一度は覚えのある言葉ではないでしょうか。
      最近、過食・拒食・嘔吐などの摂食障害で来談される方が増えてきました。
      たいていは、まずご家族が心配し、
      早く元通りに食べるようになって欲しいとの必死の思いで、病院や心療内科に連れてゆきます。
      ところが、本人は案外ケロリとしている場合が多いようです。
      それでも心配な気持ちが収まらないとして、来られる方が多いようです。

      ここでは、過食・拒食などの摂食障害を、精神分析的な観点から考えてみたいと思います。
      「食」は主に、口を通して取り入れます。
      このことを、心の状態と等価なものと考えます。
      すると、
      過食・拒食は、食に関する過剰な「取り入れ」と「拒否」であり、
      過剰に「取り入れる」「拒否する」心の状態
      ということになります。
      つまり、過食・拒食などの摂食障害は、
      過剰に何かを取り入れたい欲望と、それを拒否したい欲望の間を揺れ動いている心の状態となります。

      では、一体彼女(女性が多いので)は何を欲望しているのでしょうか。
      最初の食=母乳(ミルクも含む)の観点から『食=母』との図式が見えてきます。
      ここから、彼女の欲望しているのは『母』だと考えます。
      次に、どのような母を欲望しているのでしょう。

      食べる=一体化(胎内化)とも言えますから
      『母との一体化=胎内化を欲望している』とも言えます。

      それは不可能なことは解っていますから、
      母を食に置き換えて代理満足しようとする心の働きが過食となると考えます。
      ところが、どんなに取り入れてもそれは母ではありませんから、
      それに気付くやいなや、一気に嘔吐や拒食に転じます。
      過食が続いて肥満した妊婦のような姿からは、
      彼女を妊娠していた頃の母の姿に同一化しているとも見えなくもありません。

      他には、
      母と二人っきりになることを求めたり(車で二人だけで出かける、一緒に寝るなど)、
      かと思ったら、いきなりあっちへ行けと言ったりもします。
      様々な方法で母を振り回し、オロオロさせ、楽しんでいるかのようにも見える場合もあります。

      彼女は、母と一体であった時の再現を欲望しているかのようです。
      つまり、母との一体化を求めているのですから、
      それに近い状況を与えるには≪ギュッと抱きしめること≫ではないでしょうか。
      母の肌の温もりと圧力を感じることで、母との一体感を感じ取る。
      そこからスタートです。

      そのことをお母さんにお話ししますが、実際に娘さんを目の前にすると難しいようです。
      なぜなら、そのお母さん自身もそれを求めている場合が多いからです。
      ですから、娘さんに具体的に、どのタイミングでどのようにすればよいか解らないと言います。
      「難しい」と言います。
      そこにお母さん自身の葛藤が見えます。
      それを理解するには「精神分析」という対話療法が必要になるでしょう。
      娘さんにも、お母さんにも必要な時間をかけ、適切な対応をしていけば、
      必ず二人で笑いあえる日がきます。

      その実例を紹介していますので参照ください。
      「思春期の悩み」http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
      ご質問・ご相談は、シニフィアン研究所へどうぞhttp://signifiant-lab.com/

      | 家族 | 18:24 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
      312)ネット依存―フリートークに先駆けて
      0
        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
        精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                   
        今日は、6日のフリートークのテーマ「ネット依存」について書きます

        詳細については、関西出張から戻ってまとめたいと思います。
        ここでは、いくつかの問題提起をするにとどめます。

        ・「依存」とは?(「耽溺」アディクションとの違い)
        ・どうして「依存」してしまうのか?
        ・なぜ「ネット」なのか?他の依存とどう違うのか?
        ・「依存」は断ち切れるのか?断ち切れないのか?
        ・断ち切れるとしたなら、どうすればよいのか?

        これらを中心にフリートークをしたいと考えています。

        興味のある方は、連絡ください。
        6日は和歌山出張所でのフリートークで語り合います。
        その他、ご希望に応じて埼玉でも開催します。

        詳しくはシニフィアン研究所の迎意愛(むかいあい)までどうぞ。
        http://signifiant-lab.com/
        3日〜7日までは携帯へ連絡お願いします。

        | 家族 | 13:40 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
        276)男性よもっと女を欲望せよ
        0
          シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
          精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                     
          今日は、「男性よもっと女を欲望せよ!」 について書きたいと思います。

          女性の立場から、世の男性たちへこのように叫びたいのです。
          なぜなら女性は困り果て、今や怒りを露わにしているからです。
          『男がしっかりしないから、女の私がやるしかない』
          『もう我慢の限界』
          『もう男になんか任せておけない、引っ込んでなさい』
          このように叫んでいる女性たちの声が聞こえてくる気がします。


          本来、女は男性から求められて女性となり、
          男性の力強さ、逞しさに敬意を表し、委任するのです。
          それが今や、
          役立たずだと叫んでいるように感じます。

          これはどこからやってくるのでしょう。
          女性は内奥に太陽やマグマのように、燃えたぎるものを秘めている。
          そして、それは
          自らコントロールすることができないくらい激しいものです。
          女性のそれに一度でも触れたことがあれば、理解できるでしょう。
          女性は女神にも夜叉にもなれるのです。

          それらは女性の素晴らしい一面でもあり、
          育て、保護し、時には命に代えてでも守るエネルギーともなるものです。
          ただ、残念なことに
          ≪コントロールするためのスイッチ≫が付いていないのです。
          ですから、一度何らかのキッカケで暴走すると、
          だれにも止められないのです。
          まるで電源を失った原子炉のように。

          この女性のエネルギーを活用するためには
          制御のためのスイッチが必須です。
          そのスイッチが男性なのです。

          先人は、この女性のエネルギーを知っていたのではないでしょうか。
          ですから、家という中に閉じ込め、掟や慣習で制御していた。
          そんな風に考えてみると納得できる気がします。
          ところが、今はそれらが解除され、
          女性が家の外に自由に解き放たれた。
          そのことの是非はともかく
          果たして制御スイッチが社会にあるのかどうかが危惧されます。

          男性が制御スイッチとなるためには何が必要か?
          それは理想の女性像をしっかりと持つこと、
          そして、それを女性に求め続けること(言語で語ること)です。
          まずは、そこからだと思うのです。
          『さわらぬ神にたたりなし』
          『うるさいから好きにさせておく』
          『妻中心の方が家庭がうまくいく』
          ではダメです。

          男性よもっと理想の女性像を持ち、それを女性に欲望して欲しい。
          女性もそんな男性(白馬の王子様)をずーっと待ち続けているのですから。
          そのために
          男性も女性も共に学び合いましょう。
          男とは、女とは何であるかを。

          興味を持たれた方は
          シニフィアン研究所HPをご覧ください。http://signifiant-lab.com/

          | 家族 | 10:36 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
          275)万が一は実現することを目指している
          0
            シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
            精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                       
            今日は、「万が一は実現することを目指している」 について書きたいと思います。

            ここでは、
            『万が一は実現することを目指している』
            ということを、保険を例に、精神分析の観点から書いてみたいと思います。
            (*保険加入の必要性の有無や、保険の是非について述べているのではありません)

            大抵の人は『万が一の時の安心のために』と考えて(勧められて)保険に加入することでしょう。

            ある人との雑談の中で、保険に話が及んだ時のことです。
            万が一の時のために、ある保険に加入していたそうですが、
            そのおかげで保険金が下りて助かったとのこと。
            (ここまでは、ありふれた話でしょう)
            その次に、その人が言いました。
            ≪実は私、〇〇(病名)保険に加入しているんだけど、かなり以前から掛けているから絶対元を取らなきゃ損だわ。≫


            それを聞いて、びっくりしました。
            この人はもうすでに自分の病気を決めていると思ったからです。
            そして、その人に聞きました。
            「それって、もう将来の自分の病気を今から決めてるってこと?」
            「そりゃそうよ、あれだけ掛けてるんだから、病気になるなら保険金がもらえる病気にならないと意味がないじゃない」

            もちろん、先のことは誰にも解りません。
            健康に関することをテーマにすることは、慎重であるべきことだと思います。
            ですが、この人の語らいを聞いている限り、
            「その人の気持ちは、その病気に向かっている」
            つまり
            『万が一は実現することを目指している』と考えられるのではないでしょうか。

            このように、
            「意識しないところで、意図しない方向へ向かっている可能性があるもかもしれない。」
            ということを書きたかったのです。

            何気ない一言の中に、自分でも気づかないものが隠れている。
            精神分析は、それらを明らかにする一つの方法だと思います。

            シニフィアン研究所では、
            精神分析を通して、自ら気付くための面談や講座などを用意しています。
            興味を持たれた方は
            シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/をご覧ください。

            私と精神分析http://agency-inc.com/analysis6/も参照ください。

            | 家族 | 17:29 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
            273)孫は可愛いのはなぜか―自己の連続性
            0
              シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
              精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                         
              今日は、「孫は可愛いのはなぜか―自己の連続性」 について書きたいと思います。

              「わが子も可愛いが、孫の可愛さはまた格別だ」
              との声をよく耳にするけれど、なぜなのかと考えてみました。
              かつて「孫」という歌が一世を風靡したようです。
              それは、記憶のない自分の空白の時間を埋めてくれるものだから、ではないでしょうか。

              私たちは、自らの記憶をたどってゆくと、
              3歳以前の記憶はよほどのことがない限り、途中で途切れてしまう。
              ましてや、誕生から1歳2歳などはほぼ思い出せないでしょう。
              親や周りの人の語らいやビデオや写真などの記憶媒体に頼るしかない。
              それらを見ても、実感として感じられないかもしれません。

              そんな時、目の前に「孫」と世話する母親を見る機会が現れるとします。
              一歩離れた場所から、それらを観察する機会を持つことになるのです。
              その光景が、「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれる人の心にどのように映るでしょうか?
              それらを想像してみたいと思います。

              自分では生命さえも維持することは不可能に近い、寄る辺なき存在。
              そして、その存在をかいがいしく世話する母親=わが娘(嫁)
              そんな光景を目の当たりにし、
              『自分も、わが母からあのような眼差しで、世話をしてもらったに違いない』
              『自分も、あのようにぐずったり、笑ったりしていたに違いない』
              『あのように誰かの世話を受けなければ、片時も生きてゆけなかった自分であった』etc
              そこに自分自身の姿を重ねてみることでしょう。

              孫のように世話してもらったかもしれない、
              孫のようには世話してもらえなかったかもしれない。
              いずれにしても、そこには
              寄る辺なき存在の自分、世話を必須としていた自分が居る。

              その時代が間違いなく自分にもあった、だから今の自分が存在していることだけは、間違いがない。
              連続していることは疑いようがない事実としてある。
              信じたい、間違いがない事実として受け入れたい。
              だけど、自分の記憶は途切れてしまっている。
              このようなジレンマとも呼べるものが根底にあるのではないでしょうか。
              それがバネになって
              今自分の目の前に居る血の繋がった「孫」を観ている。
              その「孫」こそが、記憶にない自分の歴史を埋め、繋いでくれる。
              このような視線が潜んでいるように思うのです。
              だからこそ、わが子とは違った可愛さがひしひしと込み上げてくるのではないでしょうか。

              誰もが、信じていることでしょう。
              「自分は間違いなく連続した時間の中に生きている。」と。
              ひょっとしたら、不連続な時を生きているかもしれない不安を感じているのかもしれません。
              それを問いかけないように必死になっているのかもしれません。
              逆に、「孫」が可愛いと思えるのは
              この不安があるからなのかもしれません。

              この不安が人を
              「生きるとはなにか」
              「何のために生きているのか」
              との問いに導くのかもしれません。

              「孫」は可愛いと言われることから
              このようなことを考えてみました。
              興味を持たれた方はシニフィアン研究所のHPをご覧ください。http://signifiant-lab.com/
              思春期には特にこのような問いかけをするようです。
              思春期の悩みも参照ください。http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/

              | 家族 | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
              267)居場所―ただ聴いて欲しい
              0
                シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                           
                今日は、「居場所―ただ聴いて欲しい」 について書きたいと思います。

                日々、クライアントと向き合っていますが、
                その中で、クライアントからよく聞く言葉があります。
                今日は、その一つを紹介します。
                それが「ただ聴いて欲しい」です。
                 

                考えてみれば、
                あちこちで「評価される」ことが多いのでしょう。
                学校、塾はもちろんのこと、習い事、職場でも
                常にだれかと比べられ、評価されることが当たり前になっています。
                競争社会にどっぷり浸かっているのですから、当然かもしれません。
                せめて、家の中でだけは・・・・
                と、思うけれど、それも叶わない。
                家の中も外も同じ、常に人からの評価が待っている。

                そんなとき、
                だれかが、黙って聴いてくれる。
                評価することもなく
                良い悪い、正誤も言わず、ダメとも言わず
                ただただ、「そうか、そうか、そうなんだ」と聴いてくれる。
                そんな人が居てほしい
                そんな場所が欲しい。
                このように、だれもが心のどこかで叫んでいるのではないでしょうか。

                あるクライアントが言いました。
                ≪かつてこんなに長い時間、自分が喋りっぱなしだったことはなかった。いつも誰かに邪魔されたり、さえぎられたりして、
                最後まで
                聴いてもらったことはなかった。≫
                また、
                一年半の間、毎週身の上話を涙と共に語り続けた人もいました。
                それらの大半を語り終えた時、
                その女性を見てびっくりしました。
                『こんなにも色が白くて、綺麗な人だったのか』と。
                それまでは、背中を丸めてうつむき、暗い顔をしていました。
                それが
                まるで別人のようになったのです。
                正直、驚きと共に感動しました。
                人は、心の中のヘドロを吐き出した時、こんなにも変容し、輝くものであるのだと!

                フランスの精神分析医である、ジャック・ラカンは言いました。
                【身体は文字が刻まれた辞書のようなものである。】
                まさしく、彼女は
                暗く、重く、苦しく、筆舌しがたい過去を身体に刻み込んでいたのです。
                それが『語る=言葉にする』ことによって、
                身体に刻まれた文字(言語)が剥がれ落ちたのでしょう。

                だれもが、その人固有の文字を刻んでいると考え、
                それを分析家に語ることで、自らが明らかにし、知っていく方法が精神分析です。
                そして、必要とあらば、
                その言語を、自分の好きなように書き換えることも可能です。

                前述の彼女は
                「苦行僧」→「修行僧」→「普通人」へと書き換えました。
                ただただ、語り続けることで気付き、書き換えたのです。
                このように、
                誰かに語り続けたい、聴いてもらいたい、
                と、大半の人が叫んでいると思うのです。

                「あるがままの自分」が裁かれることもなく、批判されることなく、
                指導されることなく、他者に受け入れられること。
                それが癒しであり、自己を知ることであり、変容へと繋がってゆくことだと思うのです。

                話しても仕方がない。
                どうせ言っても・・・・・
                と、思ってあきらめていませんか。
                聴いてくれる人は必ずいます。

                シニフィアン研究所のHPも参照ください。http://signifiant-lab.com/
                オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/
                思春期の悩みhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
                恋愛と結婚ー仕事と生きがいhttp://signifiant-lab.com/woman/

                | 家族 | 09:32 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                256)自傷、自虐行為の向こうにあるもの=罪責感
                0
                  シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                  精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
                             
                  今日は、「罪責感」について書きたいと思います

                  罪責感とは、精神分析では
                  監視する自我とみられる自我の間に生まれる緊張感のことを言います。
                  この緊張感は、親から禁止され、それを取り入れたところから生まれるとされています。
                  ちょっと難しいかもしれませんが、
                  「自責の念」とか、「罪意識」とか言われるものと考えていただけばよいと思います。

                  罪責感がないと法やルールを無視し、社会の中で犯罪を犯し、
                  罪責感が強すぎると、うつや自傷・自虐行為、自殺へと自分を追い込んでしまう可能性があります。
                  一方で罪責感は、道徳心や自制心などを培う基にもなると言われます。
                  適度な罪責感をもっていることは、
                  社会で生活する上で、必要なアイテムだと言えるでしょう。

                  例えば、
                  災害や事件、事故に遭遇した時
                  「何で自分だけ助かったのか」
                  「どうして何もできなかったのか」
                  「自分が身代わりになればよかった」
                  などと、自分を責めることでしょう。

                  助けられなかった自分、何もできなかった自分を責める気持ちです。
                  その自責の念にさいなまれて、たまらなくなる。
                  周りの人から「あなたのせいじゃないよ、仕方がなかったんだ」と言われても、
                  自分が自分を許せないのです。
                  これは、人として当然な反応かもしれません。
                  ところが、中には
                  この自責の念から開放されず、一歩も進めない人がいます。
                  「時(計)が止まってしまった」
                  と語ります。

                  また
                  「幸せになろうとすると、なぜか不幸がやってくる」
                  「私は、幸せになってはいけないんです」
                  などと語る人がいます。
                  この人たちも何らかの「罪責感」を持っている可能性があります。

                  これらの場合は、
                  なぜそんなにも自分を許せないのか?
                  なぜ時が止まったままなのか?
                  どのような「罪責感」を持っているのか?
                  それを知る必要があるでしょう。
                  それを知れば、その罪責感から開放され、
                  適切に書き換えることが可能です。

                  それには、精神分析が必要となるでしょう。
                  必要な時間をかけて、
                  悲しい(不幸な)自分と向き合うことで
                  悲しみ(不幸)は悲しい(不幸な)出来事として
                  その人の心の中で整理されることでしょう。
                  そうすれば、
                  ゆっくり前を向いて歩み始められるのです。

                  シニフィアン研究所では、精神分析という対話療法を中心に
                  自分と向き合うお手伝いをしています。
                  各種相談会、勉強会、養成講座も開催しています。
                  こちらをどうぞhttp://signifiant-lab.com/
                  7日(火)から9日(木)までは和歌山、大阪を中心に関西へ出張します。
                  詳しくはスケジュールをご覧下さい。http://signifiant-lab.com/#161

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                  233)飽きっぽい、長続きしないのはなぜ?
                  0
                     
                    シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                    精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

                    今日は「飽きっぽい・長続きしない」について書きたいと思います。

                    6月29日付のヤフーニュースで見つけた記事です。
                    タイトルは「なぜ、日本の研究者は人型ロボットを作るのか」
                    その中で、早稲田大学の高西淳夫教授が答えていた。
                    「人型ロボット研究の最大の問題、あるいは宿命というのは、『人という明確な目標がある』ということです。(中略)ロボットに人のまねをさせようとすればするほど、永遠にゴールに行きつけないと痛感します。そのために、やめられなくなってしまいます。」
                    「永遠にゴールに行きつけない」「そのために、やめられなくなってしまいます」
                    これらの言葉を中心に、考えてみたいと思います。
                    少し変形して、
                    「永遠に手に入らないから、やめられない(興味を持ち続ける)」としてみましょう。
                    とすると、逆にいうと
                    「すぐに手に入れば、やめてしまう(興味を持たなくなる)」となります。

                    つまり
                    人は、簡単に手に入るものは、すぐにやめてしまいますが、
                    永遠に手に入らないものは、やめられない(興味を持ち続ける)
                    と言えることになります。
                    少し古い表現になりますが、
                    「高嶺の花」という言葉があります。
                    ご存知でしょうか?
                    ≪遠くから見るだけで、手に入れることのできないもの、あこがれるだけで、自分にはほど遠いもののたとえ≫ 
                    のことです。
                    今風に言うと「追っかけ」が近いでしょうか。
                    「大好き」と言いますが、
                    「永遠に手に入らない理想の姿」と思っているのではないでしょうか?

                    ここから
                    すぐにやめてしまう人、飽きっぽい人は
                    「永遠に手に入らないものを持っていない」ということになるのではないでしょうか?
                    長続きしないのは、性格ではなくて
                    「やめられない」と思えるものがないからではないでしょうか?
                    言葉を変えると
                    「興味をもつものがない」→「手に入らないものがない」→「手に入れたいものがない」

                    では、なぜ手に入れたいものがないのでしょうか?
                    次回は、このことについて考えてみたいと思います。

                    シニフィアン研究所では、このような方の相談もしています。
                    こちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/
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                    222)父の日
                    0
                       

                      研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
                      精神分析で心身の悩み相談をしています。

                      明日は「父の日」です。
                      そこで、「父」とはどのような存在か?
                      父の役割とは何か?
                      父とは言葉(言語)としての存在だということを書きたいと思います。

                      「父の日」を検索してみました。
                      1910年にアメリカ・ワシントン州の『J.B.ドット夫人』が教会の牧師にお願いして、亡き父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことが切っ掛け。 当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まったといわれています。
                      この「父に感謝する日」はアメリカ中に広がり、1916年に全国的に認知されるようになりました。1926年には「ナショナル ファーザーズ・デイ コミッテ ィ」がニューヨークで結成され、1972年にアメリカの国民の休日となりました。
                      日本では1950年頃から広まり始め、一般的な行事となったのは1980年代です。
                      (引用「きのとや」http://www.kinotoya.com/beans/beans_01.html
                      初めて知りました。
                      なるほど、、、

                      父の存在を強く意識する機会は、母と比べて少ない人が多いのではないでしょうか?
                      それだけ、身近に感じる機会が少ないのでしょう。
                      自営業など、比較的共有する時間が多い場合は別として、
                      やはり身の回りの世話をしてくれる「母」の方が
                      圧倒的に接触する時間が多いのも、その一因でしょう。
                      ということは
                      父を知る機会は非常に少ないというのが、一般的でしょう。

                      ある人が言いました。
                      「父親の印象と云えば、休みの日にゴロゴロして、テレビを見て居眠りしてる姿しかない」
                      ある人は
                      「休みの日は、いつも一緒に遊んでくれたり、どこかへ連れて行ってくれた」
                      これらは、現実の父を通してのイメージです。
                      これも父を知る上で、大切なことでしょう。
                      では、
                      仕事の関係で、父とのかかわりの時間が少ない人は
                      「いつも居なかった」以外、
                      父親のイメージはないのでしょうか?
                      多分、そんなことはないでしょう。

                      ここが大切だと言いたいところなのです。
                      それは
                      「母が語る父」です。

                      子どもの年齢が低ければ低いほど、その影響は顕著なようです。
                      現実の父がどうであるか、よりも
                      大好きな母がどのように語ったか?
                      それが、子どもの心に「父のイメージ」を創り上げるようです。
                      いかがでしょうか?
                      お父さんのイメージを浮かべてみてください。
                      そのイメージは何が基になっていますか?
                      父の存在、父のイメージは
                      母や身近な人が父について語った言葉ではありませんか?
                      時には父自身が語った言葉ではないでしょうか?

                      父は母とは違うようです。
                      母は現実に何をしてくれたか?が印象深く
                      父は何を語ったか?どのように語られたか?が印象深いと言えないでしょうか?
                      ここから
                      父とは「語る父」ということがクローズアップされます。
                      現実に何をしたかよりも、何を語ったか?
                      父は子どもにとって、最初に出会う社会(=法・秩序)の代表だといわれます。
                      ここからは次回に書いていくことにしましょう。

                      興味をもたれた方は
                      シニフィアン研究所のサブサイト「オールOK子育て法」を参照ください。
                      参考ブログもどうぞ
                      | 家族 | 10:44 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                      長男・長女の悲哀
                      0
                         
                        最初に生まれた子どもは「惣領」と呼ばれる
                        長男、もしくは長女となる

                        最初に生まれた子どもは
                        たいていの場合、【母の膝(ロイヤルシート)】と【おっぱい】を独占できる
                        それが「当たり前」

                        ところが
                        その「当たり前」が当たり前でなくなる日がやって来る
                        弟か妹が生まれたその日だ
                        そこから
                        『嫉妬』『怒り』『恨み』『悲しみ』『寂しさ』が生まれてくる
                        そして
                        自分一人に向けられていた母の眼差しや周囲の関心も奪われる
                        何よりも嫉妬と怒りを焚きつけられるのは
                        あの【ロイヤルシート】と【おっぱい】を占領されたのを目撃した時だ
                        それこそ自分だけのものだったはず
                        なのに
                        今は奪われてしまっている

                        近寄ろうものなら
                        「お兄ちゃんでしょう」
                        「お姉ちゃんでしょう」
                        と、拒否される

                        まさしく剥奪体験
                        そして叫ぶ
                        「弟(妹)なんかいらない!」
                        「死んでしまえ!」
                        「お兄(姉)ちゃんなんかになりたくなかった」etc
                        ここから「いじめ」の種が蒔かれるのかもしれない
                        その種が育つかどうかは
                        周りの対応によるだろう

                        【ロイヤルシート】を【おっぱい】を剥奪された
                        「怒り」と「悲しみ」をどれだけ理解してもらえたか?
                        それをどのように防衛したか?
                        言語に置き換えられたかどうか?

                        シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)HP
                        http://signifiant-lab.com/
                        精神分析的子育て法も参照ください
                        http://signifiant-lab.com/raise/
                        | 家族 | 21:23 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP